プロフィール画像にしているうちの猫モモ♂。死んで一年が経とうとしている。
私がまだ働いていた時、首輪をつけたままのグレーの猫は、家の周りをうろつくようになっていた。
私は仕事が忙しくて、猫どころではなく母から
「あの猫、餌を置いてあげてるのに他の猫に餌を取られてるのよ」
なんていう話を聞いていた。
首輪を付けているので飼い主を探すため地元のフリーペーパーに
「グレーで毛の長い猫をあずかってます」
と載せてみたものの飼い主は現れず。。。
母はその頃グレーの猫のことで頭がいっぱいだったのだと思われる。しかし、私は全く興味を示す事なく仕事や家事をするハードな毎日を送っていた。
ある日グレーの猫は家に上がっていた。
母が
「お父さんが飼っていいって言ったから飼うことにした。名前はモモにした」
と紹介してくれた。
「はぁ~?誰が面倒みるん~!」
と怒ったけど
母は
「お母さんがみるよ~」
。。。母は在宅酸素を使っていたくらい呼吸器機能が悪く、ほぼ寝たきりだったので私が家事をしていた。
だもんで「お母さんが面倒みるよ~」と言っておきながら私が主に餌やりや掃除などをやることになる訳だが。。。(-.-;)
私は潔癖症だもんで最初は毛嫌いしていた。部屋にモモを入れることはご法度。
しかし、モモはいつの間にかベッドや机の下でくつろいでいることがしばしばあった。
台所の水まわりにも上がってくるし、食卓にも上がってくる。もう、頭がどうにかなってしまいそうだった。
しかし、三年くらい経った時、夕飯の準備をしているとだしがらのいりこをくれ!とばかりに私の足に密着して離れない。私も力を入れてモモを除けようとするけど、モモも同じくらい力を入れていりこをくれるまで粘ってしがみついていた。
段々、そんなモモが可愛くて仕方なくなった。
通学路が目の前にあるので学生が
「モモ~~!!」
と呼ぶとモモは駆け寄っていっていた。人を怖がらない不思議な猫。
近所の井戸端会議の輪の中にも入って、おばちゃんたちの話をじぃーっとちゃんと座って聞いていた。
近所に救急車が来ると何があったのかと野次馬の中に入っていく。
家に業者さんが入って何かしていると業者さんに近寄って様子を伺い「おい、猫が来たぞ」と驚かれたりした。
寝るときはいつも母と一緒。母はモモに甘く、ねずみや鳥を捕まえて家に入ってきても
「モモ~よく捕ってきたね~(^_^)」
と頭を撫でている。
しかし、それを処理するのは私である。
「もう~何で持って入るん~!!」
とよく発狂していた。
母はある年、一年入院した。呼吸器官がいよいよ危なくなってきたからだ。
モモはその間、毎日一日中家の周りを鳴きながら母を探していた。すると、モモの顔つきが段々ときつくなっていった。母が退院してからは安心したのか元の顔に戻っていった。モモには母が母にはモモがいないと生きていけない仲になっていった。
それから、私が倒れて仕事を辞めて、病院を転々とする入院生活が続いた。
母は、心労や呼吸器の病気も重なって
「淋しい、モモに会いたい」
と言いながら死んでいった。
しかし、一度主治医や看護師さんの好意により外でモモと少しの時間だけ対面させてくれた。
モモを抱く母と私。
母と撮った最後の写真になった。
母が死んで、私が段々身体が良くなっていっていた時、モモの身体の変化に気付いた。
もうその時は遅く、病院に連れていっても治る見込みはないと言われ、病院のゲージの中で点滴を打ち続けた。
ある日
「家に連れて帰りたい」
と獣医に言うと
「低血糖になって倒れますよ」
と言われて
「このまま病状は悪化するばかりで点滴も段々効果がなくなります」
と言われた。
獣医が言った通り、最期の日は両手両足が立たなくなっていた。
それでもゲージの前に立つ私に近付こうと頑張っていた。
「モモ~」
と声をかけながらいっぱいいっぱい撫でてあげた。ゴロゴロと喉を鳴らしている振動を指先に感じることが出来た。
父と相談して安楽死させることを決めた。
「モモ、ありがとう」
と言いたかったが、涙がどんどん出てきて止まらない。
「モモ…モモ…」
と呼びかけるだけで精一杯だった。
モモは、私の腕の中で息をひきとった。
↓ゲージの中のモモ。
あとから、父が話してくれた。
モモは、近所をうろつくから保護センターに取りに来てもらおうという話が持ち上がっていた。
母がそんな可哀相なことしたくないから飼うことにしたということだった。
今頃、母とモモは一緒に 布団の中で寝ているだろうな。
いつも、その姿が浮かぶ。
↓最期まで前足で踏ん張るモモ。
「モモ、ありがとうo(^-^)o」
私がまだ働いていた時、首輪をつけたままのグレーの猫は、家の周りをうろつくようになっていた。
私は仕事が忙しくて、猫どころではなく母から
「あの猫、餌を置いてあげてるのに他の猫に餌を取られてるのよ」
なんていう話を聞いていた。
首輪を付けているので飼い主を探すため地元のフリーペーパーに
「グレーで毛の長い猫をあずかってます」
と載せてみたものの飼い主は現れず。。。
母はその頃グレーの猫のことで頭がいっぱいだったのだと思われる。しかし、私は全く興味を示す事なく仕事や家事をするハードな毎日を送っていた。
ある日グレーの猫は家に上がっていた。
母が
「お父さんが飼っていいって言ったから飼うことにした。名前はモモにした」
と紹介してくれた。
「はぁ~?誰が面倒みるん~!」
と怒ったけど
母は
「お母さんがみるよ~」
。。。母は在宅酸素を使っていたくらい呼吸器機能が悪く、ほぼ寝たきりだったので私が家事をしていた。
だもんで「お母さんが面倒みるよ~」と言っておきながら私が主に餌やりや掃除などをやることになる訳だが。。。(-.-;)
私は潔癖症だもんで最初は毛嫌いしていた。部屋にモモを入れることはご法度。
しかし、モモはいつの間にかベッドや机の下でくつろいでいることがしばしばあった。
台所の水まわりにも上がってくるし、食卓にも上がってくる。もう、頭がどうにかなってしまいそうだった。
しかし、三年くらい経った時、夕飯の準備をしているとだしがらのいりこをくれ!とばかりに私の足に密着して離れない。私も力を入れてモモを除けようとするけど、モモも同じくらい力を入れていりこをくれるまで粘ってしがみついていた。
段々、そんなモモが可愛くて仕方なくなった。
通学路が目の前にあるので学生が
「モモ~~!!」
と呼ぶとモモは駆け寄っていっていた。人を怖がらない不思議な猫。
近所の井戸端会議の輪の中にも入って、おばちゃんたちの話をじぃーっとちゃんと座って聞いていた。
近所に救急車が来ると何があったのかと野次馬の中に入っていく。
家に業者さんが入って何かしていると業者さんに近寄って様子を伺い「おい、猫が来たぞ」と驚かれたりした。
寝るときはいつも母と一緒。母はモモに甘く、ねずみや鳥を捕まえて家に入ってきても
「モモ~よく捕ってきたね~(^_^)」
と頭を撫でている。
しかし、それを処理するのは私である。
「もう~何で持って入るん~!!」
とよく発狂していた。
母はある年、一年入院した。呼吸器官がいよいよ危なくなってきたからだ。
モモはその間、毎日一日中家の周りを鳴きながら母を探していた。すると、モモの顔つきが段々ときつくなっていった。母が退院してからは安心したのか元の顔に戻っていった。モモには母が母にはモモがいないと生きていけない仲になっていった。
それから、私が倒れて仕事を辞めて、病院を転々とする入院生活が続いた。
母は、心労や呼吸器の病気も重なって
「淋しい、モモに会いたい」
と言いながら死んでいった。
しかし、一度主治医や看護師さんの好意により外でモモと少しの時間だけ対面させてくれた。
モモを抱く母と私。
母と撮った最後の写真になった。
母が死んで、私が段々身体が良くなっていっていた時、モモの身体の変化に気付いた。
もうその時は遅く、病院に連れていっても治る見込みはないと言われ、病院のゲージの中で点滴を打ち続けた。
ある日
「家に連れて帰りたい」
と獣医に言うと
「低血糖になって倒れますよ」
と言われて
「このまま病状は悪化するばかりで点滴も段々効果がなくなります」
と言われた。
獣医が言った通り、最期の日は両手両足が立たなくなっていた。
それでもゲージの前に立つ私に近付こうと頑張っていた。
「モモ~」
と声をかけながらいっぱいいっぱい撫でてあげた。ゴロゴロと喉を鳴らしている振動を指先に感じることが出来た。
父と相談して安楽死させることを決めた。
「モモ、ありがとう」
と言いたかったが、涙がどんどん出てきて止まらない。
「モモ…モモ…」
と呼びかけるだけで精一杯だった。
モモは、私の腕の中で息をひきとった。
↓ゲージの中のモモ。
あとから、父が話してくれた。
モモは、近所をうろつくから保護センターに取りに来てもらおうという話が持ち上がっていた。
母がそんな可哀相なことしたくないから飼うことにしたということだった。
今頃、母とモモは一緒に 布団の中で寝ているだろうな。
いつも、その姿が浮かぶ。
↓最期まで前足で踏ん張るモモ。
「モモ、ありがとうo(^-^)o」