素人の太平洋戦争解釈 その3

今日は2017年12月8日、76年前に日本が真珠湾攻撃を行った日です。
以下は[Wikipedia]の「真珠湾攻撃」の項から部分引用です。

12月1日、御前会議で対米宣戦布告は真珠湾攻撃の30分以上前に行うべきことが決定された。
12月2日17時30分、大本営より機動部隊に対して「ニイタカヤマノボレ一二〇八」の暗号電文が発信された。ニイタカヤマ(新高山)は当時日本領であった台湾の山の名(現・玉山)で当時の日本の最高峰、一二〇八とは12月8日のことで、「X(エックス)日を12月8日(日本時間)と定める」の意の符丁であった。

引用終わり。(詳しくはWikipediaの「真珠湾攻撃」をお読みください。)


日本の開戦通告は、攻撃の30分以前にアメリカ側に届けることになっていましたが、駐米大使館が本国から受け取った暗号文の解読と通告文書の作成に手間取ったため、実際にアメリカ側に渡ったのは攻撃の40分後でした。真珠湾攻撃は「日本の卑怯なだまし討ち」だとして「リメンバー・パールハーバー(真珠湾を忘れるな)」のスローガンを生みました。

 

米国に対する開戦通告書の作成が遅れた理由については、アメリカ人女性タイピストを休ませていたため上手でない日本人大使館員が行ったためにタイプ打ちに時間がかかったとか、前夜大使館でパーティーがあり大使館員に気の緩みがあったなどのさまざまな説があります。しかし事前通告がないまま日本が攻撃を開始したことは、戦争は遠いヨーロッパのことでありアメリカは関わるべきではないと考えていた多くのアメリカ人が日本との戦いに一致団結して立ち上がる結果を生みました。