その2

 

   今日は昨日の続きです。

今日の状況は昨日の結果としてあると思います。

昨日は一昨日の続きとして。

  今日は2017年12月6日です。

あと2日で2017年12月8日です。つまり1941年の12月8日(現地[ハワイ]時刻では12月7日午前)日本海軍がハワイ真珠湾の米軍艦隊に奇襲攻撃してから76年が経ちます。日本はその前から中国と戦争をしていたのですが、アメリカとも戦争することになったのです。

現在からこの対米開戦を考えれば、中国との戦いが続いていて帰趨も見えないのに北アメリカ大陸の大部分を占める超大国との戦争を始めるなど狂気の沙汰です。

なぜこのような事態に陥ってしまったのでしょうか。

          

私は敗戦から5年後の1950年10月にこの世に生を受けました。

小学校に入学した1957年は連合国に降伏した1945年から12年しか経っていません。そのため子供の頃に大人たちが戦争時や戦後のつらい経験を語るのを聞いて育ちました。

両親とも1919年生まれで敗戦時には26歳で満州にいました。その時父はまだ独身でしたが母は既に結婚しており3人の子供があったそうです。夫は招集されていて後に戦病死したしたことが知らされたようです。そして3人の子供のうち下の二人を飢えと病で失い長女だけが生き残り二人で1946年に日本に帰還しました。

父は47年か48年にやっと日本に戻ったようですが、敗戦からの数年間旧満州で露天商のようなことをして生き延びたと言っていました。二人とも大変つらい目に遭ったわけですが自分たちが旧満州国の人々を苦しめたとの認識はほとんどなかったように思います。父は私が27歳の時に58歳で病死し母は45歳の時に76歳で死亡したので今となっては何も聞くことができません。

私達の世代は5.15事件(1932年(昭和7年)5月15日に日本で起きた反乱事件。武装した海軍の青年将校たちが総理大臣官邸に乱入し、内閣総理大臣犬養毅を殺害した。)とそれにつづく2.26事件(1936年(昭和11年)2月26日から2月29日にかけて、皇道派の影響を受けた陸軍青年将校らが1,483名の下士官兵を率いて起こした日本のクーデター未遂事件。)により『軍部』の勢力が強くなり戦争に向かっていったと学校で教えられました。しかし私はどういうことか意味が分かりませんでした。今もこの説明は理解不能ですが、日本軍をコントロールできなくなって戦争への道を突き進んだということでしょう。