名古屋でのドキドキの転院生活がスタート | だるまちゃん 再生不良性貧血 完治の軌跡

だるまちゃん 再生不良性貧血 完治の軌跡

だるま

みたいに

転んでも
つまずいても
ひっくり返っても
やっぱり 最後は自分の力で
真っ直ぐ立ち上がる為の

まったりマイペースブログです

これまで、

看護師さんは、

私の個室に入る前に新しいマスクを着け、

(衣類から菌が移らないように)長袖の大きな白衣を着用して

接する。という環境の生活をしていたので、


 

転院する=空気に触れる=雑菌との戦い


 

を意味していた為、移動

気持ち的に命懸けの大冒険でした。


 

当時は、街でマスクをしている人が少なくて、

今ほどマスクが市民権を持っていない時だったので、

父、母、私、車に乗っている人間全員が厳重なマスクをしている姿に、

車ですれ違う人にすると異様に感じたのか、

チラチラと見られるのがとても恥ずかしかったのを覚えています



話は、少し戻ることになりますが


 

実は、これまで大量の免疫抑制剤などによる度重なる治療で、

内分泌の甲状腺にガンが出来ているのが分かりましたが、

重度の貧血 真っ最中の私は、手術を受ける

と言うことが出来ない為に、

エコーでまめに確認しながら様子を見て頂いていました。


 

これまでは血液の病気だけを考えていれば良かった状態から、

甲状腺との兼ね合いも考える必要が出てきた為に、

 

甲状腺がんの手術も、転院先がとても有名であったことも大きくて

転院を急いだという理由がありました。


 

甲状腺がんになった。

と聞いた時は、さすがにさすがにダブルパンチで落ち込みました。


 

個室の中で、現在の様にスマホで知識を得ることが出来ず、

やはり不安から、今から思えば過呼吸?みたいな状況になり、

「空気が足りない。吸えない」と、無菌の空気が出てくるところに

顔をひっつけては、必死に空気を吸おうとしていたのを思い出します。


 



 

転院先に話は戻り、

なんとか無事に名古屋に到着!


 


これからは、家から遠くなるので

これまでのように家族も毎日は来れない為、

基本的に一人での戦いが始まりました

しかし、この病院は大きく有名であった為に、

同世代の患者仲間が何人か出来ました


 

中でも、一つ違いのSちゃんは、病名は違うものの

同じ主治医だった事から とても仲良くなり、

彼女の存在のお陰で、一人の寂しさを余り感じず

治療に専念出来ました。


 


こちらの病院では、上には上の重症患者さんがいて、

個室の数が限られている事から、

治療状況によって、頻繁に大部屋と個室を行ったり来たりして、

重症患者同士、大部屋で触れ合うことが出来たので、

”頑張っているのは自分だけではない” と言うのが分かって、

気持ち的にとても安定して居られました。



また、この病院の食事のシステムで

主治医からOKの出ている者は病棟内の食堂へ食べに行き、

しかも Aセット又は Bセット を選ぶことが出来て、

部屋の仲間と一緒に「そろそろ食べに行く?私、今日 Aセット」と

まるで合宿にでも来てかのような気持ちになれる

今、思い返しても 入院生活の中でも 少しホッと出来た

楽しい時間でした。


 

今なら、このようなシステムが増えているかも知れませんが、

こんな患者目線の病院が、どんどん増えてくると嬉しいな。

と思います。


 

もし、病院関係の方が見ていることがありましたら

是非、ご検討お願いしたいです ♡

                               

                                    (つづく)