【1964年昭和39年度オリコンランキング15位】
歌手:井沢八郎、作詞:関口義明、作曲:荒井英一
井沢八郎【ああ上野駅】の歌声動画です。
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あゝ上野駅は、
1964年5月に発表された日本のポピュラーソングである。
関口義明は、
上野駅で見かけた集団就職の少年たちを題材に詞を書き、
農家向け家庭雑誌『家の光』の懸賞に応募、1位入選を果たした。
これを見た東芝レコードの近藤秀男によりレコード化され、
当時ほぼ無名の若手歌手だった井沢八郎が歌った。
1位入選作は大物歌手によってレコード化されるという
触れ込みであったため関口は落胆したが、
歌手を志して青森県から単身上京した井沢自身の人生も重なり、
発売後まもなく「金の卵」と呼ばれた集団就職者などから支持と共感を得て、
高度成長期の世相を描いた代表的ヒット曲となった。
いわゆる団塊の世代を中心に「心の応援歌」として
多くの人々に勇気と感動を与えた楽曲であり、
井沢の代表曲との呼び声も高い。
2001年12月、東北本線にリバイバル急行「津軽」号が運転された際、
出発セレモニーで井沢はこの曲を歌い駅長と共に「津軽」号の発車の合図をした。
2003年には上野駅に歌碑が建立された。
2007年1月に井沢が亡くなると、
『第39回思い出のメロディー』(NHK、2007年8月11日放送)で
追悼として氷川きよしが歌唱した。
また、娘である工藤夕貴は父の死後の会見で「『あゝ上野駅』は、
パパの残してくれた大きな宝物。
だから、『あゝ上野駅』は私が歌い継いでみせます」と宣言している。
歌碑[編集]
2003年、元プロボクサーのファイティング原田や集団就職で上京した
中小企業経営者らによる有志団体によって上野駅広小路口前のガード下に
「あゝ上野駅」の歌碑が建立され、
同年7月6日に井沢や作詞者の関口、吉住弘台東区長、上野駅長、
有志関係者ら約2,000人が参加して除幕式が行われた。
歌碑は高さ2.6メートルで、
C62形蒸気機関車や駅に降り立ち荷物を持ちながら
歩く学生服姿の若者達が描かれたレリーフ板と歌詞の銘板からできている。
上野駅界隈のご当地ソングとして広く知られるため歌碑も観光名所の一つとなっている。
建立費用や維持費など計2,000万円は、ほぼ寄付で賄われたという。
2013年7月28日には上野駅開業130周年を記念し、
上記の歌碑から連なる13番ホームにおいて発車メロディとして採用された。
〖感想コメント一言〗・・・・・Ranking
【1】おいらは齢51なので、
上野駅については靴磨きの人と浮浪者が大勢いた頃をギリギリ見ている世代ですが、
この歌で歌われているような集団就職の時代は知りません。
今の上野駅は新幹線が乗り入れし構内もきれいになり、
隔世の感があります。
とにかく東日本の人にとってJRの駅でいちばん記憶に残る駅ではないでしょうか。
【2】この時代に生きられた方々は苦労も多かったと思いますが、
幸せな時だったと思います。
歌から心情が伝わってくる・・・・・。
【3】あ~上野駅!
戦後の日本は貧しいが元気いっぱい。
懐かしい 歌 です
【4】 何度聴いても涙が出ます。
自分は関西でしたから上野ではありませんが・・
とにかく田舎から出て父母と別れての生活 寂しくて田舎が恋しくて・・
でも素朴でいい時代でした。
この背景の画像も・・
懐かしくて涙を一層誘います
【5】昭和の名曲のひとつですね。
就職ではなく、
大学入学の為でしたが、
ホームに降り立った時の期待感と不安感の
入り混じったあの時の気持ち・・・。
あれから50年が過ぎ去りましたが、
上野が「心の駅」である事に変わりはありません。
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