【2024年6月26日】
我ながら計画性の無い人間で、その日の朝になって「あれを食べたい」とか「あそこに行きたい」とか思い付いて一日の計画を立てることが増えてきました。
この日も朝ご飯を食べながら「あそこに行こう」と思い付き、そのまま家を出発。
その数時間後には
新潟県の糸魚川駅のホームに立っていました。
もっと早く計画していれば、新幹線も少し安く乗れたのに。
北陸新幹線には何度も乗ってきましたが、糸魚川駅で降りるのは初めて。
駅を出て、まっすぐ直線の道を歩いていきます。
途中、合併前の市の花だった梅の描かれているマンホールを撮影したりして、
7、8分ほど歩くと、
今回の目的地である天津神社・奴奈川神社の入口を示す看板に到着。
案内に従い、狭い小道を抜けた先に、
神社の鳥居がありました。
参道途中にあった手水舎に立ち寄り、
手と口を漱いで清めます。
コロナ禍以降、管から水がチョロチョロ流れ出ている形の手水舎が増えて、こうやって柄杓も置かれている形は減った印象ですね。
参道を進んでいくと、狛犬の向こうに拝殿が見えてきました。
大きく開けた広場のような場所にポツンと拝殿が据えられているのは、ちょっと見慣れない光景ですね。
そんな広場のような境内で、拝殿から離れた場所に建てられているのが「衣紋所」。
衣紋所と書かれた案内があるだけで、何の建物なのかは分からなかったのですが、名前から想像すると、おそらく装束に着替えたり、装束を保存したりする場所ではないかと思われます。
というか、それ以外に考えられません(笑)。
拝殿の正面に建てられているのが、石垣で作られた舞台と、そこに繋がる楽舎。
ここで毎年4月に披露される舞楽は、国の無形文化財に指定されています。
そう考えると、さっきの衣紋所は、その装束の保管場所なのかな?
そのまま拝殿に向かい、参拝。
天津神社が創建されたのは、第12代天皇の景行天皇の時代と伝わっています。
西暦だと、4世紀頃。
古くから地元の人々の信仰を集め、越後国の一之宮を称しています。
(全国の一之宮が加盟している「全国一之宮会」には非加盟)
現在の茅葺の拝殿は、江戸時代の1662年に建てられたもの。
一つの拝殿の背後には、天津神社と境内社である奴奈川神社の本殿が並んで建てられています。
右側にあるのが『天津神社』の本殿。
拝殿に比べると、だいぶ小振りですね。
主祭神として祀られているのは、天照大神の孫にあたる瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)。
日本神話では天界から地上に降臨した「天孫降臨」の象徴として知られ、稲作を地上に伝えた農業の神様として五穀豊穣や畜産のご神徳があるとされています。
合わせて、「天孫降臨」で瓊瓊杵尊に随伴した天児屋命(中臣家、藤原家の祖先)と天太玉命(忌部氏、斎部氏の祖先)も祀られています。
その左側に並んで経っているのが『奴奈川神社』の本殿。
こちらに祀られているのは、古代から糸魚川に根付いた神様である奴奈川姫(沼河比売)。
日本神話では、大国主神の強い求婚を受けて結婚した奴奈川姫は、建御名方神を産んだ母親神とされています。
そのため、大国主神が祀られている出雲大社、建御名方神が祀られている諏訪大社とは深い関係で結ばれている神社というのを強くアピールしています。