【2024年2月25日】

 

琵琶湖西岸を走る京阪石山坂本線を利用しながら寺社巡り。

 

建部大社と近江神宮に続き、滋賀県大津市にある天台宗の寺院である三井寺(園城寺)を訪れました。

 

京阪電鉄を「三井寺」駅で下り、歩いて約10分ほどで山門である仁王門に到着。

 

 

こちらの寺院が開かれたのは、今から1350年ほど前の飛鳥時代。

 

皇位を巡る壬申の乱で敗れた大友皇子の子が、父を弔うために建てたとされています。

 

近くにある延暦寺との対立や数々の戦乱に巻き込まれてきた歴史があり、何度も焼失の危機に見舞われながら、その度に復興してきた「不死鳥の寺」です。

 

 

寺院としての正式名称は園城寺。

 

しかし、天智天皇・天武天皇・持統天皇という三代の天皇が産湯として使った霊泉がある事から「御井寺→三井寺」と呼ばれるようになり、そちらの呼び名の方が広く定着しています。

 

 
室町時代に造られた仁王門(国指定の重要文化財)。
 
元々は別の寺院の門でしたが、豊臣秀吉によって伏見城へと移された後、西暦1601年、徳川家康によって三井寺に移築されました。
 

 

古くから奈良の東大寺・興福寺、滋賀の比叡山延暦寺と並ぶ「日本四箇大寺」の一つに数えられてきた三井寺は、広大な敷地と多くの文化財を誇る古刹。

 

 

受付で拝観料を払い、受け取ったパンフレットに記された順路に従い、境内を巡っていきます。

 

 

まずは、仁王門の近くに建っている「釈迦堂(重要文化財)」へ。

 

 

室町時代、多くの僧侶が集う食堂として建てられたとされる建物。

 

 

御本尊として釈迦如来像が祀られています。

 

 

堂内に入る事も出来ますが、この日は雨が降っていて、靴を脱いで濡れた足で上がるのも嫌だったので、建物の外から拝ませていただきました。

 

 
次に訪れたのは、三井寺の総本堂にあたる「金堂(国宝)」。

 

 

1300年以上の歴史の中で騒乱や戦乱、火事に巻き込まれ、何度も焼失を重ねてきた金堂。

 

現在も残る大きな金堂は、桃山時代、豊臣秀吉の正室だった北政所(ねね)によって再建されたものです。

 

 

堂内に祀られている弥勒菩薩像は天智天皇ゆかりの仏像で、現在は一般公開されていない秘仏となっています。

 

その他、平安時代から江戸時代まで各年代に造られた大小の仏像が数多く祀られていて、国の重要文化財に指定されている貴重なものも間近で観賞出来ます。

 

 

内部は撮影禁止なので、案内板の写真にてご紹介。

 

 

 

そんな金堂の目の前にある「鐘楼(重要文化財)」に納められた梵鐘は、近江八景の一つ「三井の晩鐘」として広く知られています。

 

 

京都宇治の平等院などと並び、日本三銘鐘に数えられる鐘の荘厳な音色は、環境省の定めた「残したい日本の音風景100選」にも選定されています。

 

 

金堂の西側に回り込んでみると、

 

 

「三井寺」の名前の由来となった建物があります。

 

こちらの「閼伽井屋(あかいや)」の中には霊泉が湧き出していて、それを天智・天武・持統の三代天皇が産湯として使った事から「御井=三井」寺と呼ばれるようになりました。

 

ただ、こちらの天皇達は全て飛鳥(現在の奈良県)の生まれなので、どう考えても滋賀県の寺で産湯は使わないよなぁ…という疑問の声も、ネット上ではチラホラ。

 

この建物内にある泉からは、現在でも豊かな水が湧き出しているんだとか。

 

 
こちらの閼伽井屋の正面上部に施された龍の彫刻には、とある伝説があります。
 

 

江戸時代の名工、左甚五郎によって彫られたとされる龍の彫刻。

 

毎晩のように寺から抜け出し、琵琶湖に出て暴れ回っていたところ、困った甚五郎が自ら龍の目玉に五寸釘を打ち込んで鎮めた…とされています。

 

どうせなら、その釘が打ち込まれたままで保存されていたら、信憑性があって面白かったのに。

 

 

こういう古い寺院では建物ごとに様々な伝説や逸話があるので、観て回るだけでも想像力を掻き立てられますね。

 

 

(三井寺 ②に続く)