【2023年2月24日】
京都・滋賀を巡る一泊二日旅。
といっても、京都では寺社仏閣に行く事もなく、すぐに滋賀に向かったのですが。
一日目の夜は、滋賀の大津市駅前にあるホテルにて一泊。
こういう畳敷きの部屋に泊まったのは久しぶりです。
【2023年2月25日】
翌日は朝7時台から始動。
昼過ぎに予約している帰りの新幹線の時間までに、神社と寺院を一か所ずつ巡ります。
京阪電鉄石山坂本線に乗り、向かったのは、
「近江神宮前」駅。
名前の通り、近江神宮の最寄り駅です。
現在、旅の目的の一つとして日本全国の「一之宮」を巡ることを挙げていますが、それと同時に、日本に25社しかない「神宮」も全て訪れてみたいと思っています。
日本国内に数多く存在する神社の中で、天皇、皇室の祖先神、皇室に伝わる三種の神器などを祀っているのが「神宮」。
初詣に訪れた明治神宮に続き、今年2社目の神宮参拝になります。
この近江神宮には、西暦667年、この地に近江大津京を遷都した天智天皇が祀られています。
天智天皇というお名前よりも、教科書にも載っている「大化の改新」を行った中大兄皇子のお名前の方が有名かもしれませんね。
駅から近江神宮まで向かう道の途中には、
ごく普通の街並みの中に、
何もない広場が点々とあります。
正直なところ、案内板が無いと「この辺り、空き地が多いなぁ」という印象しかなかったと思います。
ちなみに、西暦667年に飛鳥京から遷都されてきた近江大津京ですが、その5年後に勃発した壬申の乱によって再び飛鳥に都が移り、大津京は廃都となってしまいました。
駅から歩いて10分ほどで、近江神宮の鳥居に到着。
鳥居の前にある社号碑に刻まれた「近江神宮」の文字は、明治時代に内閣総理を3期務めた近衛文麿の筆によるもの。
昭和初期に建て直された木製の「一の鳥居」を潜ると、
先が見えない程に長く幅広な表参道が一直線に伸びています。
石段を上がった先にあるのが「二の鳥居」。
こちらを潜った先には、
昭和~平成の歌人・俳人達が近江神宮や近江京にちなんで詠んだ句碑・歌碑が、道沿いに数多く並んで建てられています。
『秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ 我が衣手は 露にぬれつつ』
小倉百人一首の一首目として知られる有名な歌です。
この由縁から、近江神宮は「競技かるたの聖地」と呼ばれていて、数々の大きな大会の舞台とされてきました。
競技かるたを扱った漫画「ちはやふる」の作中にも登場していて、実写映画版ではロケ地になりました。
私も映画版は見ましたが、この石段と朱色の楼門、確かに見覚えがあります。
石段の下から見上げた構図は美しく、ついつい写真を撮りたくなります。
近江神宮を紹介する時、この石段と楼門の写真が使われる事が多いようです。
映画「ちはやふる 結び」では、この楼門を背景にして、石段にキャストが並んだ写真が宣伝ポスターに使われていました。
近江神宮の社紋は「山桜と楽浪紋」。
楽浪(ささなみ)というのは、琵琶湖の南西岸を表す枕詞の一つなんだとか。
楼門を潜った先には、綺麗に白砂の敷かれた境内を一直線に伸びていく石畳と、その先に立つ大きな拝殿が見えます。
拝殿へと向かう前に、ふと左側に視線を向けると、
日時計や漏刻など各種時計のレプリカが置かれています。
「漏刻」は、上から流れ落ちる水の量で時刻を測る仕掛け。
砂時計の砂を水に置き換えた感じでしょうか。
日本では天智天皇が初めて取り入れ、これが日本で初めての時計とされています。
その為、近江神宮は「かるたの聖地」であると同時に「時計の聖地」でもあります。
こちらの漏刻のレプリカは、有名な時計メーカーのオメガが奉納。
日時計の奥に見える龍のようなものは、古代中国で使われていた火時計のレプリカ。
ロレックス社が奉納したそうです。
境内には古今東西の時計が展示されている時計宝物館があるのですが、残念ながら、私が訪れた時刻が開館時間より前だったので入館できず。
という事で、改めて拝殿に向かいます。
近江神宮の拝殿は二重構造になっていて、外側の「外拝殿」の門と廻廊に囲まれた内側に、中庭の中に建つ「内拝殿」があります。
祀られている天智天皇には開運厄除・交通安全・産業発展・学業成就など様々な御神徳があり、「時を司る神様」として導きを与えてくれる神様とされています。