【2023年10月28日】

 

中世から江戸時代にかけて、現在の千葉県南部に位置していた安房国。

 

その安房国において最も社格の高い神社「一之宮」とされていたのが、安房神社と洲崎神社の二社でした。

 

そのうち、安房神社は今年の1月に訪れたのですが、

 

 

その時に訪れられなかった洲崎神社に参拝するために、9か月ぶりに千葉県の館山まで行ってきました。

 

房総半島のほぼ南端に位置する館山。

 

 

埼玉に住む私にとっては、すぐ隣の県にあるのに、そこそこ遠い街。
 
前回、安房神社を参拝した時には東京湾を横断する高速バスを使いましたが、
 

 

今回は房総特急「さざなみ」を使ってJR館山駅へ。

 

 

前回が1月で、今回が10月末。
出来るなら、もう少し暖かい季節に訪れたかった場所です。
 

 

駅前から路線バスに乗り、約40分。

 

 

海のすぐ近くにあるバス停で降り、ちょっと歩いていくと、

 

 

洲崎神社の入口に到着。

 

正確に言えば、ここは参道の途中であって、入口となる一の鳥居は海岸の方にあるのですが、そちらは後で訪れる事にしました。

 

 

古くから航海安全・豊漁の神として船乗りや漁業関係者の信仰を集め、さらに安産や五穀豊穣の御利益もあるとされていた洲崎神社。

 

中世から江戸時代までは、安房国の一之宮といえば同じ南房総にある「安房神社」を指していたそうですが、江戸時代に幕府の老中だった松平定信によって「安房国一之宮」の額が奉納された事から、この洲崎神社も一之宮として認識されたんだとか。

 

 

大鳥居の向こう側に、何か嫌なものが見える気がしますが…あえて見えないふりをして先に進みます(笑)。

 

 

いつも通り、参拝前には手水舎にて手を清めてから、

 

 

江戸時代に造営されたとされる朱塗りの随身門へ。

 

 

どことなく愛嬌の感じられる獅子の彫刻が施された門を潜ると、あえて目を逸らそうとしていた現実と向き合わなければならない事になりました。

 

 

洲崎神社の本殿があるのは、標高110mの御手洗山の中腹。

 

そこまでは、私の大嫌いな石段が148段も続いています。

 

この角度の石段は、もう見るだけで気持ちが萎えてしまいそう…。

 

 

約30度の傾斜がある石段は「厄除坂」と名付けられ、上がるだけで厄落としが出来るとされています。

 

そんな御利益が無かったとしても、ここを上らないと本殿に辿り着けない訳なので、逃げる訳にはいきません。

 

覚悟を決めて、

 

 

一歩一歩、足を踏み出していきます。

 

 

上る前までは不安ばかり募っていたものの、いざ上り始めてみると、この日の体調が良かったのか、思いの外に脚が軽くてスイスイと上っていく事が出来ました。

 

半分まで上った時点で、ふと後ろを振り返ってみると、

 

 

視界の先に広がる大海原。

 

どうせなら、一番上に辿り着くまで我慢しておけば良かったかも(笑)。

 

 

身体が疲労を感じ始める前に、残り半分を一気に登り切ってしまいます。

 

一番上に到着して、改めて後ろを振り返ってみると、

 

 

良い景色…。

 

 

普段、海の無い場所で生活していると、こういう風景を見るだけで単純に感動しちゃいますよね~。

 

しばらく石段の脇に腰を下ろし、ただただ海を見つめ続けていました。

 

そして、改めて前を向き直し、

 

 

すぐ目の前にある拝殿へ。

 

 

洲崎神社に祀られているのは「天比理乃咩命(あまのひりのめのみこと)」。

 

同じ安房国一之宮である安房神社に祀られている天太玉命の后神になります。

 

今より1400年ほど前の神武天皇の時代。

阿波国(現在の徳島県)から渡来し、安房を開拓した天富命の一族が、祖母神である天比理乃咩命を御手洗山に祀ったのが洲崎神社の始まりとされています。

 

 

西暦1180年、平家打倒の挙兵をした源頼朝ですが、石橋山の戦いで敗戦。

 

安房国に逃れた頼朝は、この洲崎神社で戦勝祈願を行い、見事に再起して平家打倒を果たしたと伝わっています。

 

そこから「勝負運」や「仕事運」、特に「再起・リベンジ」の御利益があるとされています。

 

拝殿にて参拝を終えてから、その奥にある本殿を拝見しました。

 

 

江戸時代に造営・改修が行われたとされる、鮮やかな朱塗りの本殿。

 

館山市の有形文化財に指定されています。

 

 

 

(洲崎神社(安房国)  ②に続く)