日光街道の御宿場印を集める企画。

 

第六宿の幸手を訪れた後、そのまま東武日光線に乗って向かったのは、

 

 

埼玉県久喜市にある栗橋駅。

 

ここには過去、何度か「鉄道むすめ」のスタンプラリーで訪れた事があるので見慣れた光景です。

 

この栗橋は、今年の大河ドラマにも少し関係がある場所で、

 

 

源義経と別れ、生まれたばかりの我が子も奪われて鎌倉から追われた静御前。

 

義経を追い、彼が逃れた平泉を目指したものの、その途中、義経の死を知ります。

 

悲しみに暮れた静御前も病に倒れ、この周辺で病死したとされています。

 

栗橋駅の駅前には、

 

 

静御前と義経の魂を鎮める石碑があります。

 

 

 

 

そんな静御前が亡くなってから約400年後。

 

江戸時代、ここには日光街道の第七宿、栗橋宿がありました。

 

 

栗橋宿の特徴としては、日光街道で唯一の関所があった事。

 

利根川を船を渡る地点の近くに「戻川渡中田関所」という関所を設け、「入り鉄砲に出女」といわれる人間や武器の出入りを厳しく取り締まっていました。

 

 

江戸時代を通し、明治時代に廃止されるまでの約250年間、江戸の北側警備の拠点として機能していました。

 

 

街道沿いには、江戸後期から明治時代に建てられた古い建物が点在しています。

 

 

 

栗橋駅から歩いて十数分。

 

 

この日は夏のような暑さで、歩いているだけで汗が背中に滲み出てきました。

 

ちょうど一週間前に心臓の血管手術をしたばかりで、ちょっと不安はありましたが、所々で水分補給と休憩を挟みながら、何とか目的地へ。

 

 

なだらかな坂道を登っていった先にあるのが、

 

 

栗橋八坂神社。

 

利根川を渡る渡し舟場の近くにあり、近隣住民に加えて、宿場町を訪れた旅人や船主達の安全・厄除けを担ってきた神社です。

 

元々は現在の茨城県にあった神社でしたが、江戸時代初期、利根川が大洪水に見舞われた時に神輿が流れ着き、この場に遷座されてきました。

 

その神輿を運んできたのが鯉と亀だと伝わっており、境内の各所に鯉が祀られています。

 

鳥居をくぐると、通常の狛犬が鎮座している向こう側に、

 

 

「招福の鯉」と「除災の鯉」という二体の「狛鯉」がいます。

 

 

 

手を清める手水舎にも、亀と鯉が使われています。

他の神社では龍などが使われている場合が多いので、珍しいですね。

 

 

おみくじにも鯉と亀。

 

 

 

さらに、境内にも大きめの水槽があり、鯉が飼われています。

 

 

まあ、これは他の神社でも鯉が泳いでいる池はあるので、別に珍しくないかも(笑)。

 

 

スサノオノミコトを祀っている祭殿を参拝してから、その隣にある授与所にて「御宿場印」を入手しました。

 

こちらの御朱印は毎月デザインが変わるそうで、この日も何人か御朱印待ちの人が並んでいる人気ぶり。

 

そんな中、私だけ「御宿場印」を頼んだので、受付の方に「えっ?」という不思議な顔をされてしまいました(笑)。

 

 

鯉と亀、利根川の渡し船と神社が描かれた御宿場印でした。