福岡市中央区にある光雲神社。

 

黒田如水公、長政公の父子を祀った神社の境内に立っているのが、こちらの銅像。

 

 

右手に長槍、左手に大杯を持ち、堂々たる姿を見せているのは、母里太兵衛の像。

 

黒田如水・長政の父子二代に仕え、「黒田二十四騎」の一人に数えられる豪傑です。

 

神社に祀られている二人ではなく、その家臣が銅像になっているんですね。

 

 

 

槍の名手として知られ、常に最前線に立って数々の軍功を挙げ、黒田家に貢献。

 

豊臣秀吉の軍師を務めた如水、その後を次いで福岡藩主となった長政を支え続けました。

 

 

 

母里太兵衛のエピソードとして一番有名なのは、民謡「黒田節」の元になっている出来事。

 

主君である長政からの使者として、京都伏見にあった福島正則の屋敷を訪れた太兵衛。

 

酒豪で知られる正則は、大きな鉢に酒を注ぐと、太兵衛に飲むように勧めますが、使者の立場である太兵衛は遠慮して断ります。

 

その返事に納得しない正則は、「この酒を飲み干したら、何でも欲しい物を与える」と言って酒を強要し続けました。

 

 

 

しつこく酒を進めてくる正則に対し、「それなら、あの槍を頂けますか」と、壁に掛けられた槍を指差した太兵衛。

 

その槍は、福島正則が主君・豊臣秀吉から賜った家宝ともいえる名品「日本号」。

 

そんな名品を欲しがったら、さすがに正則も諦めるだろうと思っていたのですが、すっかり酔っている正則は承知してしまいます。

 

更には「黒田の武士は、酔っぱらったら使い物にならないんだろう」と侮辱された太兵衛は、大きな鉢の酒を見事に飲み干すと、約束通りに槍を持ち帰ってしまいます。

 

酔いが覚めた後、慌てて「槍を返して~」と言ってきた正則ですが、決して返す事はありませんでした。

 

 

 

「黒田節」

呑め呑め 酒を飲み取りて 我が日の本のこの槍を

取り越すほどに呑むならば これぞ真の黒田武士

 

 

太兵衛が呑み取った名槍「日本号」は、現在、福岡市美術館に収蔵中です。

 

 

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博多人形の題材にもなる人気者となった母里太兵衛は、JR博多駅の南口前にも銅像が立っています。

 

 
こちらは「黒田節」のモデルというのを強くアピールしているのか、右手に杯、左手に槍を持っています。

 

 

 

通行人に当たるのを恐れたのか、槍の先は丸くなっていますね。

 

 

 

槍を構えた光雲神社の像よりも、杯を構えた博多駅の像の方が、表情は厳しくて勇ましい(笑)。

 

 

 

 

 

 光雲神社の像と、少しだけ歌詞が違いますね。