約2週間前に書いて、「下書き」のままで放置していたものを改めて投稿します。
 
<2019年8月31日(土)  昼>
 
HKT48の『九州7県ツアー』に参戦する為、人生二度目の鹿児島へ。
 
鹿児島空港からバスに乗り、まずは「鹿児島中央駅」まで来てみました。
 

 

 

 

 

今度来る時には、九州新幹線を使って訪れてみたいなぁ。

 

今回の目的であるHKTのコンサートは夜公演なので、それまでの時間潰しも兼ねて、JR鹿児島本線の伊集院駅まで足を伸ばしてみました。

 

 

 

この駅を訪れた理由は、駅前に立っている、この騎馬像を見るため。

 

 

戦国時代に薩摩を拠点として、九州の大半を支配した島津家の武将、島津義弘の騎馬像です。

 

昭和63年に建立された、と聞くと、個人的にはつい最近のように感じますが、もう二つ前の年号で約30年前なんですね。

 

自分のオッサンぶりを思い知らされます(笑)。

 

 

武勇に秀でた猛将として「鬼島津」と呼ばれた義弘は、島津家当主となった長男・島津義久を補佐しながら各地を転戦し、九州統一を目指しました。

 

しかし、九州まで進出してきた豊臣秀吉との戦いでは、戦力差による劣勢を強いられます。

 

最後まで抗戦を主張しながら、義久の説得により、秀吉に従う事を受け入れた義弘は、豊臣家の配下として、その後の朝鮮出兵などでも活躍します。

 

 

島津義弘の一番有名なエピソードとしては、やはり「関ヶ原の戦い」における「島津の退き口」でしょう。

 

image

 

兄・義久の反対を押し切って、数少ない兵を率いて西軍に参加した義弘ですが、敗戦濃厚な戦況を悟ると、関ヶ原からの撤退を決断します。

 

 

普通の武将なら後方に退いて撤退するところを、義弘はあえて前方の敵陣に突撃をかけて、中央突破を図ります。

 

当然、多大な被害を受け、味方の大半を失う結果となりましたが、その武勇ぶりは全国に知れ渡る事となりました。

 

この騎馬像は、その「島津の退き口」において突撃する姿を描いたと言われています。

 

 

 

 

 

 

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