愛知・三河地方の仏塔を巡る日帰り旅行。
三番目に訪れたのは、德川家康公の出身地でもある岡崎市の大樹寺。
愛知環状鉄道「大門」駅から徒歩15分ほどで辿り着いた、立派な門構えの寺院です。
まさに「大門」。
室町時代、地元領主の松平親忠によって開かれて以来、松平家代々の菩提寺となってきた大樹寺。
松平家出身である徳川家康が江戸幕府を開いて以降は、德川将軍家の菩提寺にもなって、歴代将軍の位牌が納められてきました。
その位牌は、各将軍の等身大の大きさになっているんだとか。
本堂の傍らには、この人の石像が。
ちょっと頭部が大きく、主張が激しい像です(笑)。
西暦1560年、有名な「桶狭間の戦い」により、東海地方を治めていた戦国大名・今川義元が討たれてしまうと、今川軍に属していた家康は、この寺に逃げ込みました。
松平家の墓所の前で自害しようとした家康ですが、寺の住職に説得されて思い留まります。
その時に説かれた浄土宗の教え「厭離穢土欣求浄土」、すなわち「汚れた世の中を離れ、永遠に平和な浄土を願い求める」という思想は、その後の家康公の「天下を統一して、みんなが平和で幸せな世の中にする」という生き方に影響を与え、後に開いた江戸幕府の方向性にも繋がっていきます。
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家康公が亡くなり、十七回忌を迎えた際に、三代将軍・家光によって整備されたのが、現在も残されている「ビスタライン」。
家康公の位牌がある大樹寺から、家康公の生まれた岡崎城が見えるように、その中間にある門などを全て一直線に並べています。
本堂から山門、
その先にある総門(現在は小学校の門)、
そして、総門の先には、
岡崎城の天守が見えます。
現在も、このビスタライン上には、高い建物を建てる事が禁止されているそうです。
など
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そんな大樹寺にある多宝塔。
塔の周囲だけ、まるで別の庭園のように整備されているのも珍しいですね。
室町時代の西暦1535年、松平家七代当主・清康によって建立された多宝塔は、大樹寺では最も古い建築物になります。
上下層のバランスも良く、随所に緻密な彫刻が施された立派な塔です。
視界を遮る高い樹木が周りに無いので、隣の墓地や、塀の外からも良く見えます。