2018年8月13日。

 

大宝寺三重塔の見学を終え、上田駅に戻ってくると、今度は「しなの鉄道」に乗車。

 

 

 

 

隣駅の「信濃国分寺」に向かいました。

 

 

 

 

その名前の通り、この駅の近くにあるのが「信濃国分寺」。

 

奈良時代、聖武天皇が国家安寧の為、全国各地に国分寺を建てさせた、というのは学校の日本史で習った事。

 

当時の信濃国の中心だった、この地に信濃国分寺は建てられました。

 

その当時に建てられた寺院は、残念ながら平安時代には荒廃してしまいましたが、その旧寺院の跡地が、駅のすぐ近くにあります。

 

 

 

完全に遺跡風の光景。

 

 

 

 

 

 

 

 

平安時代に移転して、現在まで残る国分寺は、道路一本隔てた場所にあります。

 

 

 

大きな道路のすぐ傍らに面している仁王門を抜け、

 

 

 

石畳の参道を数百メートル歩いていくと、本堂が見えてきます。

 

 

 

信濃国分寺は、戦国時代に起きた「第二次上田合戦」で、德川軍と真田軍の会見が行われた場所でもあります。

 

 

 

西暦1600年、石田三成を中心とした西軍が挙兵して勃発したのが、日本を二分する「関ヶ原の合戦」。

 

関ケ原へと向かう徳川家康の本隊と分かれ、長男である德川秀忠率いる軍勢は、信州の平定を図ります。

そして、西軍に与した真田昌幸率いる真田家に降伏を勧め、この寺院で会見を行いました。

 

会見の場では德川軍の降伏要求を受け入れたように見せかけた真田家でしたが、実は裏で戦闘の準備を整え、德川家に一泡吹かせてやろうと企んでいました。

 

すっかり油断していたのに加え、知略に秀でた真田軍に苦戦した秀忠は、この地に足止めを食ってしまいます。

 

その結果、秀忠は「関ケ原の合戦」に間に合わず、家康の不興を買うという大失態を演じる事になってしまいました。

 

そんな歴史のエピソードの舞台になった場所です。

 

 

 

 

いつも通り、まずは本堂に参拝を行うと、その右手に建っている三重塔へ。

 

 

奈良時代、日本全国に建てられた国分寺の多くには仏塔が建てられましたが、現在も残っているのは少なく、その中でも一番古いのが、こちらの三重塔です。

 

 

 

 

残念ながら、時間的に、ちょうど逆光で写真の撮りにくい状況…。

 

 

 

鎌倉時代に源頼朝の発願によって建てられたという説もありますが、その建築様式などから考えると、室町時代の建立だと推定されています。

 

 

別の角度から、改めて写真撮影。

 

 

 

 

結果的に、こちらの方が画になりますね。

 

 

 

 

塔内には、御本尊である大日如来座像が安置されています。

 

 

 

 

 

高さは約20メートル。

 

 

上田の周辺には4つの寺に国宝・重要文化財の塔が残されていますが、その中で一番高い塔になります。

 

 

 

もう少し天気が良い日に訪れたかったなぁ。

 

 

とはいえ、あまり日差しが強い日も暑くて困る…という、ワガママなオッサン(笑)。

 

 

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