集落の中心である「内郭」。
「王」を中心とした権力者達の住居だった「南内郭」に対し、
集落北部にある「北内郭」は、神々と繋がる祭事を行う区域として特別な場所でした。
「北内郭」の周囲には、
北内郭で行われる祭事・行事を補佐する人々が生活する「中のムラ」や、
祭事・行事に使われる物を保管する倉庫群があります。
ここまで歩き通しで、そろそろ足も疲れてきたので、「中のムラ」にある休憩所で一休み。
天井が高く、風通しが良いので、夏は涼しく過ごせそうな住居です。
中で火を焚けば、冬もそこそこ温かく過ごせるかも。
こういった住居の並ぶ「中のムラ」では、
儀式・行事に使われる様々なものが作られていました。
ここで作られたものや、田畑で収穫された農作物などは、
近くにある「倉庫群」へと運ばれていって、高床式倉庫に保管されました。
農作業で使われる道具を保管する倉庫。
儀式で「お供え物」にされる食物を保管しておく倉庫。
収穫された稲穂を保存しておく倉庫。
織物や衣類を納めておく倉庫。
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弥生時代の頃は、自然や動植物など様々なものに霊が宿っていて、
それが人間社会に影響を与えるという「精霊信仰」があったそうです。
特に、農耕生活に大きな影響のある太陽は崇拝の対象とされ、
様々な貢ぎ物などを捧げ、豊作を祈っていました。
田植えや収穫の日取り、集落全体の重要な物事を決める際は、
必ず神様に伺いを立て、それを元にした話し合いが行われていたそうです。
そんな神事・祭事が行われていた中心地が「北内郭」。
「南内郭」ほど厳重な警備体制は敷かれていませんが、
高い壁と柵に囲まれていて、なかなか近寄り難い雰囲気があります。
まあ、あくまでも遺跡を参考にして復元されたもので、
実際のところ、こんなに整った壁や柵があったかどうかは分かりませんけどね。
ここにも、周囲を見張るための物見櫓が建っています。
神を祀る区域に建てられているせいか、
他の場所にある櫓とは少し形が違い、ちょっと神殿っぽい外見のように思えます。
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北内郭の東端にあるのは「東祭殿」。
季節ごとの祭事が行われた場所のようです。
何度も建て直された痕跡がある事から、
季節ごとに新しい建物に建て直されたのでは、と考えられています。
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祭事の時に身を清めたり、道具の準備を行っていた場所とされる斎堂。
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北内郭の中に一棟だけある竪穴式住居。
祭事を司る最高司祭者に仕え、
身の回りの世話をしていた従者の住居だったではないかと推定されています。
一方、その最高司祭者が住んでいたとされるのが、こちらの高床式の住居。
祭事の時を除けば、ほとんど他人の前に姿を現す事のなかった最高司祭者。
この住居の中に籠っていた事で、ミステリアスで神聖なイメージを保っていたのでしょう。
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吉野ケ里遺跡の中で最も大きく、高い建物である「主祭殿」。
下の部分も含めると三階建てになっている立派な建物は、
神々に伺いを立てたり、霊に祈りを捧げたりする場所だったのに加えて、
集落をまとめる政治の中心地として、様々な話し合いや行事が行われた場所でした。
内部は見学可能なので、ちょっと狭い階段を上って、中を覗かせてもらいました。
2階では、何やら行事が行われている様子。
一番奥の上座に座る「王」を中心として、その重臣達、ムラの長達が一堂に会しています。
こういう表情の分かりにくい人形は、ちょっと苦手です…
3階に上がってみると、また異なった独特の雰囲気が漂う空間でした。
司祭者達が霊に祈りを捧げ、お告げを受けているところです。
ここで導かれたお告げが、下の階にいる支配者層の人々に伝えられ、
これから先の集落の方向性が決まっていった訳ですね。
※吉野ヶ里遺跡 訪園記