(日光の旅(8)から続く)

 

 

日光東照宮に数多くある動物の彫刻の中で、「三猿」と並ぶ抜群の知名度を誇るのが、こちらの「眠り猫」。

 

 

江戸時代の名工・左甚五郎によって彫られた名作として広く知られる「眠り猫」があるのは、德川家康公の墓所のある奥宮へと向かう入口にあたる東回廊

 

 

狭い通路に多くの人が押し寄せ、しかも「眠り猫」を観ようとして足を止めるので、なかなか先に進めない渋滞状態。

 

それなのに、肝心の「眠り猫」に気付かず、そのまま通り過ぎてしまう人も多いようで…。

 

雑誌やテレビで見る時には大写しになっている為、かなり大きくて立派な彫刻だと思い込んでしまいますが、実際の「眠り猫」は、

 

 

おそらく、多くの人が「思っていたよりも小さい…」と感じるであろう、可愛いサイズの彫刻。

 

もちろん、小さな作品であるゆえに、その細工の細かさが際立つともいえます。

 

 

この「眠り猫」の意味には諸説あるようで、

「猫が眠れるくらいに平和な世の中になりますように」という願いが込められていたり、

「ここから先には、鼠一匹さえ通さないニャ」という警備の意味が込められていたり。

 

また、「日の光を浴びながら眠っている」事から「日光」の象徴だという説も。

 

そんな「眠り猫」の下を抜けると、すぐ目の前にあるのが「坂下門」

 

 

江戸時代には、将軍だけしか通る事の許されなかった「開かずの門」だった坂下門。

 

ここから200段もの石段を登っていった高台に、家康公の眠る奥宮があります。

 

200段の石段…と聞いて、今すぐ背を向けて引き返したい衝動にも駆られましたが(笑)、後ろからは次々と観光客が押し寄せてくる状況では逃げ場もなく、覚悟を決めて上っていくしかありません。

 

 

この石段も、東照宮における建築技術の見所の一つ。

 

全ての段が、一段一段、それぞれ一枚石が使われています。

更に、手すり部分(石柵)も、一枚の石をくり抜いて作られたものが並べられています。

その為、繋ぎ目が全く見られないので、非常に美しい石段ですね。

 

 

 

途中の踊り場で一休み、二休みしながら、汗だくで上っていくと、

 

 

やっと頂上の鳥居に到着。

 

上り切ったところには、休憩所とお茶の自動販売機があります。

必死な思いで上ってきた人々の多くが立ち止まり、ここで休憩していたので、自動販売機は大繁盛。

まさに思う壺ですね(笑)。

 

 

かつては将軍だけが参拝を許された奥宮拝殿

全体が銅板で覆われ、黒漆が塗られた重厚な建物です。

 

この拝殿の先が、いよいよ家康公の眠る奥宮。

 

 

墓所の前に立ちはだかるのが、鋳抜門

扉と柱の部分以外は、一つの巨大な鋳型から作られているそうです。

 

この東照宮の中でも最も重要な部分を守る最終関門だけに、狛犬もかなりのコワモテです。

オス・メスの一対になっていて、頭に角が生えている方がメス。

人間も狛犬も、女性には角が生えているんですね(笑)。

 

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西暦1616年、駿河国(現在の静岡県)で死去した徳川家康公の遺体は、駿河国の久能山へと葬られました。

 

「遺体は久能山に納め、一周忌が過ぎたら日光に堂を建てて分霊し、神として祀れ」

 

そんな家康公の遺言に従い、翌年1617年に日光東照宮が建立されると、家康公の棺は日光へと移され、改葬されました。

 

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そんな家康公の墓所に建てられているのが、奥宮御宝塔

 

 

御祭神である家康公の棺が納められている宝塔は、当初、木造の塔でしたが、後に石造りの塔に変わり、更に現在の唐銅(金・銀・銅の合金)作りの塔へと変わっています。

 

しかし、中に納められた棺は一度も開かれた事が無いそうです。

 

江戸から見て、日光の方角は、ちょうど北極星が見える方角。

北極星は、古代中国においては宇宙の中心と考えられ、天を支配する天帝の星。

北極星へと繋がる道は「北辰の道」と呼ばれ、神仏だけが通れる道とされました。

 

遺言で「八州の鎮守になる」、すなわち日本全体を守る守護神となると誓った家康公。

神となった家康公は、江戸と日光を結ぶ「北辰の道」を行き交う事で、現在でも江戸(現在の東京)を見守っているのかもしれません。

 

 

(日光の旅(10)に続く)

 

 


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