日光東照宮を訪れる目的といえば、改修工事の終わった「陽明門」や有名な「三猿」、「眠り猫」などを挙げる人が大半だと思われます。

 

もちろん、私も同じように、それらの場所を観る事を楽しみにしていましたが、それに加えて楽しみにしていた場所が、こちら。

 

 

日光に来ても、やっぱり五重塔が好き(笑)。

 

江戸時代の西暦1650年、若狭小浜藩の初代藩主である酒井忠勝の寄進によって建てられましたが、西暦1815年に落雷によって焼失。

 

同じ若狭小浜藩の十代藩主・酒井忠進によって西暦1818年に再建されたのが、現在残されている五重塔になります。

 

 

高さ35メートルの塔は、優れた免震構造をしている事で有名。

 

五重塔の中心に立つ「心柱」と呼ばれる太い柱は、周囲の骨組みとは関係なく、独立して立っています。

 

屋根から鎖で吊り下げられ、一番下の地面からは僅かに浮いている心柱は、大きな地震があった時には「振り子」のように揺れ動き、縦揺れ・横揺れを上手く吸収してくれます。

 

それに加え、全ての屋根と、それを支える柱は上手く組み合わされているだけで、しっかりと固定されていないので、地震の時には自在に揺れ動く余裕があり、地震が収まった時には元の場所に戻る事が出来ます。

 

この免震構造のおかげで、2011年の東日本大震災の時にも、この五重塔は倒壊せず。

 

約200年に作られた優秀な建築理論は、東京スカイツリーの免震構造にも用いられているそうです。

 

 

そんな五重塔の一層目には、東西南北の面にそれぞれ三匹ずつ、十二支の彫刻が彫られています。

 

北面(猪・鼠・牛)→東面(虎・兎・龍)→南面(蛇・馬・羊)→西面(猿・鶏・犬)

 

正面にあたる東側には、

 

 

辰(龍)、卯(うさぎ)、寅(虎)の彫刻が。

 

 

辰年は、德川三代将軍・家光の干支。

 

 

卯年は二代将軍・秀忠、そして寅年は初代将軍・家康の干支になります。

 

一見すると、德川三代の将軍の干支を並べているように見えますが、単純に十二支の順番に並んでいるだけにも思えて、これが作為的なのか、偶然の賜物なのか…。

 

 


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