江戸時代以前に建てられた五重塔で、現代まで残されているのは、日本全国で22棟。

 

同様に、江戸時代jまでに建てられた城の天守閣で現存しているのが12棟しかない事も併せて考えると、木造建築の建物が数百年も残っているのが、いかに貴重な事なのか分かります。

 

現存している五重塔22棟の中で、国宝に指定されているのは9棟。

そのうち、6棟は古都・京都と奈良にあります。

(京都3棟、奈良3棟)

明治維新の混乱期に取り壊される事なく、戦争中に激しい空襲を受ける事もなく、地震や火災などに見舞われなかった幸運に加え、貴重な文化財として大切に保護されてきた結果なんでしょうね。

 

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「南都七大寺」の一つである興福寺には、日本に現存している木造の塔では二番目に高い五重塔が経っています。

 

法隆寺の塔と並んで、「奈良の塔」として紹介される事が多い、奈良を代表する仏塔です。

 

 

その高さ、約50メートル。

初代ゴジラの大きさと同じくらい…といっても分かりにくいですね(笑)。

近代のビルに例えると、15~20階建てに相当します。

 

今年の1月末に、同じ国宝の羽黒山五重塔を観た時にも、その大きさに圧倒されましたが、あの塔は高さ29メートル。

 

50メートルもの高さになると、塔の下に立ち尽くしたまま、阿呆みたいにポカーンと口を開けて見上げるしかありません(笑)。

 

 

この五重塔が最初に建てられたのは、奈良時代の西暦731年。

 

興福寺を創建した藤原不比等の娘である光明皇后の発願によって建てられました。

光明皇后は、東大寺と大仏を建てた聖武天皇の后ですね。

 

その後、興福寺の外の建物と同様に、何度も焼失と復元を繰り返した結果、現在残されているのは室町時代の西暦1426年に再建されたものです。

 

 

 

私は建築様式については詳しくないのですが、室町時代における最先端の建築方式を使いながらも、創建された古代(奈良・平安時代)の様式も所々に残しているそうです。

 

塔の初層(一階部分)には、東西南北それぞれに薬師三尊像、釈迦三尊像、阿弥陀三尊像、弥勒山尊像が安置されています。

 

普段は内部を公開していませんが、昨年、特別公開の日があって、初層が一般公開されたそうです。

 

 

明治維新の後、一度は売りに出された塔は、落札した民間人の手に渡りそうになりました。

その売値は18円とも25円とも言われています。

 

明治時代初期の1円=現在の1~2万円くらいの価値だといわれているので、40~50万円くらいでしょうか?

 

もし現在、この価格で売りに出したら…私でも買いたくなる値段です。

 

買い取った人は、塔を解体して薪にしようと思ったらしいのですが、その解体費用が高すぎる為、結局は買い取りをキャンセル。

 

そのおかげで、こうやって現在も鑑賞する事が出来る訳です。

 

 

私が訪れたのは真っ昼間でしたが、夜にライトアップされた姿も格好いいと評判です。

 

他の寺院なら公開時間が決まっていて、夜には門が閉められているのが普通。

 

しかし、ほとんど奈良公園と一体化している興福寺には周りを囲む塀も門もないので、ほぼ24時間、いつでも見学できるのは貴重ですね。

 

まあ、誰もいない真夜中にウロウロ徘徊していたら、不審者として警察に尋問されそうですけど(笑)。

 

 


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