和歌山城に西側から入る入口で、いわゆる「裏門」にあたるのが追廻門。
この地図を見ると、「あれっ、東側じゃない?」と思ってしまうのですが、この地図は北側が下になっているので、右は西側で間違いありません。
朱塗りの追廻門は、江戸時代に建てられたままで現存している貴重な遺構の一つです。
ここから北東方面に進み、西の丸へと向かいました。
お城の構造をよく知らない人が見ると、「天守の北にあるのに、西の丸?」と思うそうです。
江戸時代、城主(紀州藩主)が藩政を行っていたのは天守ではなく、二の丸でした。
すなわち、城の中心地は二の丸だったので、そこを基準にして、その西側にあるから「西の丸」なんですね。
江戸時代初期、紀州藩の初代藩主だった徳川頼宣は、「西の丸」に自らの隠居所となる御殿と美しい庭園を築きました。
自然豊かな池泉回遊式庭園は、その時期に作られた庭園としては日本屈指の名園といわれています。
近年になってから文化庁による整備事業が行われ、現在でも多くの観光客の目を楽しませています。
門を潜り、庭園に入った途端、正面から大勢の観光客達が向かってくるのが見えました。
私が入ってきた南側入り口だけでなく、庭園の北側にも入口があるので、どうしても「北から南に向かう人」と「南から北に向かう人」が途中で擦れ違う事になります。
その時、どちらか一方が道を譲ればいいのですが、お互いに譲らないと…
こんなクソ狭い道に人間が押し寄せる事になります。
向こうは大勢、こちらは一人。
仕方なく、私が道を譲る事に。
「わざわざ道を開けてあげたんだから、ペチャクチャ喋ってないで、さっさと通れよ!」と内心思いながらも、表面上は愛想よく「こんにちは~」なんて挨拶なんかしちゃって(笑)。
やっと道が空いたので、また別の集団が来る前に、さっさと見学していきましょう。
別名「紅葉渓庭園」といわれるだけであって、もう少し経てば、もっと紅葉が綺麗な光景になるんでしょうけどね~。
池の周りを半周したところで、行く先に木製の橋が見えてきました。
藩主の屋敷があった二の丸と西の丸庭園を結ぶ「御橋廊下」です。
藩主や客人など身分が高い人間だけが使っていたので、屋根と壁付きの橋になっています。こうやって堀の上に斜めで架けられた橋は、全国的にも珍しいそうです。
現在の橋は、平成になってから復元されたもの。
橋を通行する時は土足厳禁なので、入り口で靴を脱いで入ります。
西の丸から二の丸に向かう道は、緩やかな上り坂。
苦になるような傾斜ではないのですが、足元が…
敷いてある板と板の間に微妙な段差があるので、そこを靴下履きの足で歩くと、ちょっとだけ足の裏が痛い…。
もしかしたら、私が不健康なだけかもしれませんけど(笑)。
橋を渡り終えた先は、もう二の丸です。