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(「水戸の梅まつり~」から続く)
偕楽園の北側に位置する「表門」。
現在、バス停や駐車場、駅などは全て園の南側にある為、こちらの門から出入りする人は少ないのですが、江戸時代に偕楽園が作られた時から、ここが正式な入口です。
現在は、園内にある奥御殿「好文亭」へと向かう道の入口にもなっています。
表門を抜け、更に「一の木戸」を潜っていくと・・・
梅の花の香りの中を歩いた時も癒される気持ちになりましたが、青竹が立ち並ぶ中、隙間から漏れてくる陽の光を浴びながら歩いていると、また違った感覚の癒しを感じます。
う~む・・・日々の生活に、相当疲れているようです(笑)。
一方、右側を向くと、生い茂っている杉の木々。
私は花粉症ではありませんが、もしスギ花粉が駄目な人だったら・・・地獄でしょうね(笑)。
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この偕楽園を作った徳川斉昭公は、この道を歩いて行く途中の景色の移り変わりに、「陰の世界から陽の世界へと移り変わっていく様」を表現したそうです。
すなわち、この竹林や杉林は、閑寂な「陰の世界」。
そこを抜けると、次第に視界は明るく華やかに変化していき、色とりどりの花が咲く梅林や緑豊かな庭園、近くにある広大な千波湖といった「陽の世界」へと繋がっていく事になります。
そういう斉昭公の意図を汲み取り、偕楽園の本当の魅力を感じ取るには、表門から入ってくるのが良いとされています。
そうは言っても、ほとんどの来園者は、いきなり梅林の方から見学してしまうのですが・・・
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緩やかな坂道を登ったり下ったり、のんびり散歩気分で歩いていると、前方に大きな白い石の塊が見えてきました。
こちらは「吐玉泉」という人工の泉。
偕楽園が造園された時、古来から湧き水の多い場所に、園内の景観を考えた白い大理石で泉が作られました。
そこから何度か作り直されているので、現在あるのは昭和62年に復元されたものになります。
湧き出てくる水は目の病に効くと伝わっていて、江戸時代には、園内の茶室で行われた茶の湯にも用いられていたそうです。
一応、現在も水質検査は行われているそうですが、飲用には向いていないとか。
表門から入り、竹林や杉林の中を十数分ほど歩き続け、ようやく辿り着いたのが、
「好文亭中門」。
「表門」が偕楽園の入口だとしたら、この「中門」は、園内に建てられた水戸藩主の別邸「好文亭」の入口になります。
ここを抜けると、
いきなり、周りの景色が変わりました。
まさに「陰から陽」へ。
偕楽園の園内は、基本的に無料で散策できますが、この先にある「好文亭」の見学だけは有料。
料金所で入場料を払い、先に進みます。
西暦1842年、水戸藩主・徳川斉昭によって偕楽園が作られた時に、その園内に建てられたのが、藩主の別邸である「好文亭」という屋敷。
藩主が偕楽園を訪れた時に滞在した場所であるのに加え、様々な文化人を招いて宴会を行ったり、年老いた家臣や庶民を招いての敬老会などが行われた場所でした。
「偕楽園」と同様に、「好文亭」の名称も中国の故事から名付けられました。
「文を好めば即ち梅開き、学を廃せば即ち梅開かず」
晋の武帝が文学に親しんだ時期は梅が咲いたのに、文学を怠った時期の梅は開かなかった、という故事です。
この故事から、梅には「好文木」という異名が付き、ここから「好文亭」の名称が考えられました。
昭和20年、空襲によって焼失してしまった好文亭ですが、昭和33年に再建。
可能な限り、創建時の状態が復元されています。