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(八王子城 前編から続く)
「御主殿跡」に繋がる曳橋が架け替え工事中という事で、橋の下を流れる城山川沿いの道を歩き、御主殿跡を目指しました。
現在は干上がっていて、僅かな水の流れを感じる程度の城山川ですが、八王子城が落城した時には、川上で自害した将兵や女性・子供の血で、三日三晩、真っ赤に染まっていたといいます。
しばらく歩くと、右側に「御主殿跡」の石垣が見えてきました。
一方、左側を見ると、数分前に訪れたばかりの「古道」の高台が見えます。
本来なら、この頭上を「曳橋」が渡っていたんですね。
戦国時代の関東地方で、こういう石垣が用いられている城は珍しかったそうです。
石垣の上部には、解体された曳橋の一部が残されていました。
確かに、ちょっと腐りかけているような気はしますね。
来年の2月以降、新しく掛け直された曳橋を観る為に、ここを再び訪れる事は・・・無いかもしれないなぁ(笑)。
とりあえず、上まで登ってみました。
曳橋があった時には、ここが「御主殿跡」の入口になっていたんですね。
この石段の上が「御主殿跡」。
石段に座り、絵を書いている方が数人いました。
皆さんが書いている題材は・・・
「御主殿跡」の入口になる冠木門。
築城当時の門をイメージして、平成22年に建てられたものですが、特に歴史的裏付けは無いようです。
まあ、絵のモデルとしては、史実に沿っているかどうかは関係ないと思いますが。
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冠木門を潜った先には、芝生に覆われた「御主殿跡」が広がっていました。
昭和に入り、国の史跡に指定されてから始まった発掘調査で、多くの建物の礎石が出土しました。
その礎石の数々は、現在も芝生の上に露出する形で残っています。
「御主殿跡」の中心にあった大きな建物は、当然、城主の屋敷だった「御主殿」。
「御主殿」は、城主・北条氏照の家族の住居だったのに加えて、様々な政治的行事・儀式や会議などが行われていたそうです。
地面に埋め込まれた案内板に従って、「門」から「広間」へ歩いてみました。
城主の座っていた「上段」。
その名の通り、一段高い場所になっていたんでしょうね。
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「御主殿」の隣に建っていて、渡り廊下で繋がっていたのが「会所」。
出土した礎石の位置関係から建物の寸法を測り、板張りの床が再現されています。
訪れた時間帯が、ちょうど正午過ぎだったので、「御主殿跡」でお弁当を食べる家族連れが何組か見られました。
ワイワイと楽しそうに食事する家族を見ていると、ちょっと羨ましい気持ちはありますが・・・
もう「一人で寂しい」なんていう気持ちは、過去のどこかに置き忘れてきました(笑)。