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お城巡り ブログランキングへ
「日本100名城」に指定されている城跡の中で、我が家に一番近いのが、東京都の八王子城。
一番近いがゆえに、逆に「いつでも行ける」という気持ちが働き、どんどん後回しにしていたのですが、先日、ようやく訪城する事となりました。
何しろ、今回のGWに出歩く場所が他に見つからなかったもので・・・。
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我が家から電車で1時間半ほど。
学生時代には毎日通っていた「高尾」駅に到着しました。
「高尾」駅を訪れると、有名な「高尾山」の天狗が出迎えてくれます。
この天狗達は、私が学生時代に通っていた時にも存在していた記憶がありますが、
昔は、こんなに八王子城のアピールをしていなかったような気が・・・
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高尾駅から10分ほど路線バスに乗って、バス停「霊園前」で下車。
そこから徒歩15分ほどで、八王子城跡に辿り着けます。
他の地方の城跡を訪れると、ついつい帰りのバスの時間を気にしながら行動してしまいがちですが、ここは東京。
朝の5時から夜の23時まで、これだけバスの本数があれば、のんびり城跡を巡れますね。
まあ、夕方以降に城跡を訪れる人なんて居ないと思いますけど(笑)。
八王子城は山の中にある「山城」という事で、そこに向かう道は緩やかな上り坂。
一本道なので迷う事なく、距離も大した事はないのですが、僅かな疲労が足腰に溜まってきました。
いや、このくらいで疲れるのは私くらいで、ほとんどの人は余裕で辿り着けると思いますけどね(笑)。
額に軽く汗が滲む頃に、前方に見えてきたのは「八王子城 ガイダンス施設」。
この施設では、八王子城の歴史を学べる展示スペースと共に、ゆっくり座れる休憩スペースがあったので、私も休憩タイム。
もちろん、休んでばかりでなく、歴史の方も勉強しました。
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戦国時代、関東を支配していたのは北条氏。
私の母親は、「北条氏」と聞いて、鎌倉時代の執権と勘違いしていましたが、戦国時代に活躍したのは、北条早雲を祖とした「後北条氏」の方です。
その北条家が本拠地とした小田原城を支える支城として、三代目・北条氏康の息子である北条氏照によって八王子城は築城されました。
築城の時期は明らかになっていませんが、だいたい1587年くらいには完成していたようです。
城が築かれた深沢山(城山)に古くから存在し、氏照が城の守護神と定めたのが「八王子神社」。
仏教の守護神の一人である牛頭大王と、その八人の息子(王子)を祀った神社で、そこから「八王子」の地名が付けられたと言われています。
1590年、天下統一を目指す豊臣秀吉が関東に侵攻。
6月23日、上杉景勝・前田利家が率いる1万5千人の豊臣軍が、八王子城に襲いかかりました。
城主である北条氏照を中心とした家臣達の多くは小田原城に向かっていて、兵士の大部分も一緒に連れていった為、八王子城に残されていたのは数人の家臣と僅かな兵士達のみ。
押し寄せる豊臣軍を相手に善戦するものの、とても勝てるはずもなく、たった一日で落城してしまいました。
八王子城の留守を守っていた家臣の大半は討ち死に、もしくは切腹。
北条氏照や家臣の妻子、侍女などは、敵に捕まりたくない一心で、滝に身を投げて自害したといいます。
そんな中で生き残った者も、豊臣軍によって首をはねられ、小田原城に篭城する北条軍の戦意を喪失させる為に、城の門前に首を晒されたというから、まさに悲劇。
城を守っていた男達だけなく、女性・子供まで皆殺しにされた惨状は、「八王子城の悲劇」として語り継がれています。
そんな歴史があるせいか、この八王子城、心霊スポットとしても有名らしいですね。
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ガイダンス施設で10分も休んでいたら、ようやく汗が引いてきたので、再び訪城を開始。
八王子城跡は、大きく3つのエリアに分かれています。
外敵との戦闘時に防御拠点となる「要害地区」。
標高460mほどの深沢山(城山)の山中に、本丸や数々の曲輪、守護神を祀った「八王子神社」などがあります。
山の麓に位置する「居館地区」には、城主・北条氏照の屋敷などの建物があり、生活・統治の中心地となっていました。
そして、城下町にあたる「根小屋地区」。
バス停から城跡まで歩いて来た時に通ってきた区域で、現在は普通の住居や畑が広がっていました。
せっかく城跡に来たんだから、当然、城の中心地である「要害地区」を・・・と考える人が大多数かもしれません。
しかし、高尾駅から山の麓まで来ただけで大汗をかいている私のような人に、これから標高460mの山を登れというのは・・・それは酷というものです。
という事で、毎度お馴染みの「断念」する事に決定(笑)。
山の麓にある「居館地区」だけを訪れる事にしました。
城主の屋敷だった「御主殿跡」を目指します。
大きな起伏もなく、歩きやすい道は、近所の人が犬の散歩をしたり、軽く散歩をするコースになっているようです。
戦国時代には「居館地区」へと向かう道だった「古道」を歩いていくと、
道の傍らに説明板が。
かつて、この場所に、御主殿の正門にあたる「追手門」があったそうです。
近年になってから発掘調査で確認した後、状態保存の為に再び埋め直されているので、どこに何があったのかは全く分かりません。
ここから緩やかに上り坂&上り階段になっている古道を、さらに奥へと進んでいきます。
ここには、つい最近まで「曳橋」という橋が架けられていて、谷を隔てた向こう側の「御主殿跡」まで繋がっていたのですが、老朽化の為、現在は解体されています。
橋の架け替え工事は、来年の2月に終了予定。
あと9ヶ月も掛かるのか・・・さすが、お役所仕事。
本来なら、向こう側に見える石垣部分と繋がっていたのですが・・・。
仕方ないので、古道を戻っていき、別のルートで御主殿跡へと向かう事にしました。
(八王子城 後編に続く)