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(安土城 後編から続く)



山というのは、一度登ったら、そこからの帰り道は降りるのみ。


そのはずなのに、

 

 

 

 

 



なぜ、私は再び石段を登っているのだろうか。




安土城の大手道は一方通行になっていて、登っていく方向にしか使用できません。
その為、帰り道には、別方向から山を降りていかなければなりません。


天守閣への階段を上った時には、「これが最後の上り坂」だと信じて疑わなかったのになぁ(笑)。


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もはや雨に濡れているのか、汗で濡れているのか、自分でも分からないようなグチョグチョの身体を引きずりながら、何とか石段を登り切った先に広がった光景は、

 

 

 

 



旧摠見寺跡でした。

 

 

 

 



安土城が築城された時に、城内に建立された寺院です。
無神論者として知られる信長が、わざわざ自分の城の中に建てたのは、何か深い意図があったのかもしれませんね。
そういった深い政治や宗教の話は、私には全く分かりませんけど。


安土城の本丸などが火災に見舞われた時にも、摠見寺は大きな被害を受けず、安土城が廃城になった後も、この場所に江戸時代まで存在していました。
江戸時代、火災で本堂などが焼失すると、大手道の脇に仮本堂を構えて移転しています。


かつて安土城に建っていた建物の大半は、天災や火災などで焼失・破損してしまった為、現在まで残っているのは、この摠見寺の三重塔と仁王門しかありません。


その三重塔がこちら。


 

 

 

 

 

 

 

 



摠見寺が開かれるのに合わせ、近江甲賀の長寿寺から移築してきたそうです。
室町時代に建てられたままの姿で現在まで残る、国の重要文化財です。


 

 

 


 

 




 

 

 

 


詳しい建築様式なんてものは、私には全くチンプンカンプンですが、長い時代を経てきた事による、良い感じの寂れ具合が、何とも渋いですね。



ようやく雨も止んできたので、備え付けのベンチに座り、三重塔を眺めながら、ちょっと一休み。



ふと前方を見ると、結構いい眺めが広がっていました。

 

 

 

 

 

 


ここまで登ってきたからこそ、見られる光景ですね。


向こうに見えるのは、琵琶湖……ではなく、琵琶湖と繋がっている「西の湖」。


織田信長の時代には、安土城と琵琶湖は隣接していて、船を使って京都の方まで直接行けたそうです。



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一方、仁王門がこちら。
こちらも国の重要文化財に指定されています。
 

 

 

 

 

 

 

 

 



先に訪れた観音正寺では、仁王像だけが立っていましたが、やっぱり、我々の良く見知っている仁王門というのは、こっちですよね。


仁王門から出て、下山して行く石段の道は「百々橋口」と呼ばれていて、かつては城下町からの出入り口になっていました。
その名前の通り、一番の下の出入り口には橋が架かっているのですが、私が訪れた時には、その方向は工事中の為に通行止めでした。


仕方なく、山の中を抜けるガタガタの道を歩いていくと、行きの時で登った大手道と合流して、結局は同じ石段から帰る事に。


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これで、この日の予定は全て終了。


あとは安土城まで歩いて戻り、この日の宿がある近江八幡へと向かうだけです。


スマホで地図を表示させて、いざ安土駅へ……向かっていたはずなのですが、

 

 

なぜか、辿り着いたのは、山上から眺め下ろしたばかりの「西の湖」。

 

 



南方向に歩いていくつもりが、全くの逆方向に歩いていました(笑)。


どうして、こうやって無駄な体力を使ってしまうのでしょうかね。


そんな方向音痴な自分が……結構、好きです(笑)。


 

 

 


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