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2014年2月、足利旅行に続く「近場への日帰り旅」第2弾は、

 

 

 

 

 

 


東海道新幹線に乗って、静岡まで行ってきました。

 

 

 

 

 


新幹線に乗っている時点で、今回も近場ではないような気が……(笑)。


昨年末に訪れた岡崎城、浜松城からの「徳川家康ゆかりの城」の流れで、今回訪れたのは駿府城


家康が江戸幕府の将軍の座を退いてから、隠居生活を過ごした城です。


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我が家から他県に新幹線で向かうには、主に2つのルートを使います。


東北・秋田、上越、長野の各新幹線を使い、「北・東方面」に向かうには、埼玉の大宮で乗車。


一方、東海道・山陰方面といった「西方面」に新幹線で向かうには、東京か品川、もしくは新横浜で乗車します。


今回は、東海道新幹線なので、まずは乗車駅である東京駅に向かいました。


そして、我が家を出てから、約30分後。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


間違えたぁぁぁぁっ。


慌てて東京方面の電車に飛び乗り、来た道を引き返します。


皆様、たとえ普段から乗り慣れている電車でも、行き先には注意しましょうね(笑)。


私の「早く、早く」という気持ちが電車に通じたのか、新幹線の発車10分前に東京駅に辿り着き、何とか乗り遅れだけは免れました……。


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静岡駅から徒歩10分程度。


地下道を何度か通り抜けた先は、静岡県庁や市役所などが並ぶ政庁地区。

 

 

 

 

 

 

 

 


そんな庁舎が立ち並ぶ区域の真ん中に、駿府城公園はありました。

 



かつての駿府城の本丸・二の丸跡が、現在、公園として整備されています。

 

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室町時代、この地は室町幕府の駿河守護だった今川氏の館があり、領国統治の中心地でした。


しかし、室町時代後期、当主の今川義元が「桶狭間の戦い」で織田信長に討ち取られてしまうと、東海地方の名門だった今川氏の勢いは急激に衰退していきます。
 
 
隣国の甲斐武田氏の侵攻を受け、今川氏は駿河から撤退。
駿河は武田氏の支配下に置かれるようになります。
 
 
時は流れ、戦国時代。
武田氏を牽引していた当主・武田信玄が亡くなり、その息子勝頼も「長篠の戦い」で織田・徳川軍に敗れてしまうと、武田氏は滅亡。


駿河を手に入れた徳川家康は、本拠地を浜松から移し、この地に駿府城を築城し始めました。


しかし、豊臣秀吉が天下統一を果たすと、徳川氏の領地は関東に移されてしまったので、駿府城の完成を見る事無く、家康は江戸に移り住まなければならなくなりました。


再び時は流れ、豊臣氏を滅亡させ、江戸幕府を開いた徳川家康は、息子の秀忠に将軍の座を譲り渡すと、隠居の地として駿府に戻ってきました。
そして、駿府城を完成させると共に、江戸時代で最初になる城下町を整備して、江戸に並ぶほどの町に駿府を繁栄させました。


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手前に見えてきたのは、公園の南東の隅に位置している巽櫓

 

 

 

 


そして、その奥に見えているのが、

 

 

 

 

 

 

 

 

 


かつては二の丸の入口で、現在は公園への入口になっている東御門です。


巽櫓も、東御門も、平成になってから復元された比較的新しい建物です。


他のお城だと、外見だけは昔のままでも、中身は鉄筋コンクリートというものが多いのですが、この東御門と巽門は、外側も内側も完全なる木造建築。
江戸時代の姿を忠実に再現する事を目指して、日本の伝統的な木造築造技術を用いて、復元作業が行われています。

 

 


巽門を左手に見ながら、二の丸掘(中堀)に架かっている橋を渡ると、

 




橋の向こうには、第一の門となる高麗門


この門を潜り、

 

 

 

 



多聞櫓に囲まれた空間を左手に曲がると、

 

 

 




内側にある第二の門となる檜門


東御門は、この「高麗門」「多聞櫓」「檜門」という3つの建物によって構成されています。

 

 

 

 

 


敵襲を受けた時、たとえ高麗門が破られたとしても、強固な檜門で相手を食い止め、様々な窓がある多聞櫓から矢や鉄砲を浴びせて撃退出来る、実戦的な造りになっているそうです。


檜門を内側から見上げると、
 

 

 

 

 


大きく太い丸太が二本も使われていて、見るからに頑丈そうです。


江戸時代、駿府城には多くの城門が構えられていました。
 

 


しかし、明治時代に全て取り壊されてしまい、現在も存在しているのは、復元された東御門のみになっています。

 

 


現在、門の上にある櫓部分には入場可能で、多聞櫓を通り、巽櫓まで繋がる資料展示スペースになっています。

 

 

 

 




さっそく、入場料200円を支払って見学です。


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まだ最初の門しか潜っていませんが(笑)、「中編」に続きます
 

 

 

 




 
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