今年の夏休みは、仙台&会津の東北旅。


Ibati Rotihs Derot

 

まず辿り着いたのは、杜の街、宮城県の仙台です。

 

仙台といえば、やはり伊達政宗。

 

という事で、まずは伊達家三代の当主が祀られている墓所、瑞鳳殿を目指します。

 

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駅から市内巡回バスに乗れば、約20分くらいで到着するはずですが、「徒歩が一番信用できる」という信念を持つ私だけに、あえて徒歩で。

 

ところが、

 

これが大失敗。

 


 

 

私、仙台の夏をナメていました。

 

雲一つ無い晴天から降り注ぐ日の光に照らされ、10分後、完全に脱水症状に。

 

おまけに、すっかり道に迷い、どんどん観光地から離れていき、気づいたら住宅街のド真ん中。

 

喉は渇き切り、もはや汗も出てこなくなった私ですが、喉を潤したくても、周りに全く自動販売機が見つかりません。

 

こんなに「死ぬかも…」という危機感を心の底から感じたのは、高校の頃、真夏の学校の屋上で部活動をやっていた時以来。

 

脱水症状になると、本当に足が動かなくなりますよね。

 

次の一歩を踏み出そうとしても、まるで鉛の靴を履いているかのように足が上がらず、上半身は自然と前屈みになり、目を閉じたら、そのまま前に倒れてしまいそうになる。

 

もう駄目かも、俺…。

 

しかし、こんな異郷の地の、こんな住宅街の真ん中で力尽きる訳にはいかず、ほとんど意識を失いながら、鋼鉄の鎧を身につけたように重い身体を必死に引きずりながら、前へ、前へ、ひたすら前へ、愚直に前へと進みます。

 


 

 

そして…。

 

 

 

 


 

 

 

 

 


Ibati Rotihs Derot


着いたぁぁっ!!!!!

 

やっとの事で住宅街を抜け、「瑞鳳殿入口」の標識を見つけてからも、そこから長くて急角度の山道と石段を上らされ、すっかりカラカラの干物状態になっていましたが、ようやく目的地に着いた嬉しさで、だいぶ体力が回復しました。

 


Ibati Rotihs Derot

 

ただ、正確に言えば、ここはまだ「瑞鳳殿」じゃないんですよね。

 

ここは、伊達政宗の菩提寺である「正宗寺」。

 

本当の目的地である「瑞鳳殿」は、ここから更に石段を登った先。

 

体内の水分を出し切り、カサカサの干物状態の身体に再び鞭を打ち、朦朧とする頭でヨロヨロと石段を上がっていく私の姿は、まるで試合直前の減量中のボクサー同然です。

 

 

Ibati Rotihs Derot


今度こそ、本当に着いたァァァっ!!!!

 

ここまで来て、ようやく巡り会えた自動販売機で十分な水分補給を果たすと、たっぷりと休養して体力回復。

 

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仙台藩初代藩主である伊達政宗の死後、その魂を弔う墓所として、二代目藩主の伊達忠宗によって建立された瑞鳳殿。

 

その後、第二代藩主・忠宗を祀る「感仙殿」、第三代藩主・綱宗を祀る「善応殿」と、伊達三代の墓所が建立され、「瑞鳳殿」と「感仙殿」は国宝にまで指定されましたが、第二次世界大戦の空襲で全て焼失してしまいました。

 

現在、観光客に公開されているのは、全て昭和50~60年代に再建されたものです。

 

オリジナルではないものの、建立当時のデザイン、建築技法などを忠実に再現してあるそうです。

 

 

 


 

 

 

 

入口に建っているのが、こちらの「涅槃門」

Ibati Rotihs Derot
 

 

Ibati Rotihs Derot

 

墓所の入口らしく、この門を潜ると来世の世界に繋がっている、という事になっているようです。

 

門は柵で囲まれていて、実際には潜る事どころか、触る事も出来ないので、門の脇の道を抜けて中に入ります。

 


 

 

最初にあるのが、正宗公の祀られている「瑞鳳殿」

 

Ibati Rotihs Derot


Ibati Rotihs Derot
 

江戸で亡くなった政宗公は、駕籠で仙台まで運ばれてくると、その駕籠に乗せられたまま、この地に埋葬されたそうです。

 

 

瑞鳳殿の隣には、大きな弔魂碑が建っています。


Ibati Rotihs Derot


幕末の戊辰戦争に出陣して戦死した仙台藩士の魂を弔う石碑です。

 

旧幕府軍だった戦死者の個々の墓を作る事を明治政府が禁止した為、集団の弔魂碑になっているそうです。

 

 


 

 

 

続いて、こちらは二代目藩主、伊達忠宗を祀る「感仙殿」。

 


Ibati Rotihs Derot



Ibati Rotihs Derot

 

 


 

 

 

そして、こちらが三代目藩主、伊達綱宗を祀る「善応殿」です。


Ibati Rotihs Derot

 

Ibati Rotihs Derot

 


 

 

涅槃門も含め、全ての建物に細かい細工が施されていて、思わず溜め息が出ます。

 

死にそうな思いまでしながら来て、本当に良かった(笑)。

 

再建されたものが、これだけ美しいのだから、きっとオリジナルは、もっと美しかったのでしょうね。

 

多くの人命と共に、貴重な文化財も失われる戦争は、もう二度と起きない事を祈りたいですね。

 

というか、今を生きる我々が、絶対に起こさないようにしないと。