休暇明けの昨日は順調に仕事が終わったのですが、休暇明けで気合が乗らないまま終わってしまいました。

 今週もあと1日出勤すれば休みだけど、とりあえず魔の金曜日が無事に終わって欲しいものです。

 今夜はこのブログを更新したら、最近仲良くなった地元の釣り友さんと近くのポイントへ魚シーバス釣りに出かけてきます。

 金曜日の横浜は、朝からお天気サンサン晴れて初夏らしい陽気になるので、紫外線対策を万全にしてお出かけくださいませ。ピース

 今夜のおやすみ前の1曲は、大澤誉志幸が1984年にリリースしたアルバム『CONFUSION』(『コンフュージョン』)より、『そして僕は途方に暮れる』をお届けしたいと思います。

 大澤誉志幸は、東京都杉並区出身の歌手、作曲家、音楽プロデューサーとして活躍、1999年までは大沢誉志幸(読みは同じ)の名義で活動していました。

 兄がグループサウンズを聴いていた事がきっかけで、中学生の頃からから音楽に興味を持ち、Bob Dylan(ボブ・ディラン:ロック、フォークを代表するアメリカのミュージシャン、シンガーソングライター、音楽プロデューサー、芸術家、作家)、Otis Redding(オーティス・レディング:独特の歌唱法でソウルに多大な影響を与えたアメリカのシンガーソングライター、音楽プロデューサー、アレンジャー、1967年に26歳の若さで死去)などを聴き始め、高校時代にバンドを結成して音楽活動を始めました。

 大学在学中の初期はブルーグラスをやっていましたが、その後R&Bに傾倒し大学3年の1978年にロックバンド クラウディ・スカイ を結成、卒業後の1981年にビクターからレコード・デビューするもヒット曲に恵まれず、方向性を巡って他のメンバーとトラブルになり、アルバム『明日はきっとハレルヤ』とシングル『悲しきコケコッコ』、『私は蝉になりたい』)をリリースして同年末に解散、解散後の1982年には大沢は単身で渡米しニューヨークで約1年間過ごしながらアーティストへのプロデュースや楽曲提供をしていました。

 帰国後、エピックのディレクターに才能を見出されエピックと契約を結び、当時のロック・ミュージシャンとしては珍しく「アイドルへの積極的楽曲提供とプロデュース」で一躍注目を浴び、楽曲提供活動と並行しながらソロ活動を始め、1983年に 大沢誉志幸 名義でシングル『彼女には判らない』とアルバム『まずいリズムでベルが鳴る』でソロデビューを果たしました。

 1980年代は作詞家の銀色夏生(宮崎県えびの市出身の女性詩人、随筆家、写真家)とコンビを組み、『そして僕は途方に暮れる』(1984年)、『恋にjust can't wait』(『恋にジャスト・キャント・ウェイト』:1985年)、『ゴーゴーヘブン』(1987年)などのシングルヒットや、アルバム『Serious Barbarian』(『シリアス・バーバリアン』:1989年)、『Serious Barbarian II』(『シリアス・バーバリアン II』:1989年)、『楽園 Serious Barbarian III』(『楽園 シリアス・バーバリアン III』:1990年)のシリーズ3部作やオムニバスアルバム『Dance to Christmas』(『ダンス・トゥ・クリスマス』:1988年)の企画などにより、佐野元春(東京都台東区出身の歌手、ロックミュージシャン、作曲家、ギタリスト、作詞家、作曲家、音楽プロデューサー)、TM NETWORK(ティーエム・ネットワーク:小室哲哉(東京都府中市出身のミュージシャン、作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、キーボード奏者)、宇都宮隆(熊本県出身のミュージシャン、ボーカリスト、作詞家、作曲家、俳優)、木根尚登(東京都立川市出身のミュージシャン、音楽プロデューサー、小説家)の3人で構成される音楽ユニット)、渡辺美里(東京都出身の歌手)、大江千里(東京都板橋区出身のミュージシャン、シンガーソングライター)等と並びエピック黄金時代の売れっ子アーティストとして活躍していました。

 1989年から音楽性がスタイリッシュなAORサウンドへと移行し始め、1995年にワーナーに移籍すると『Love Healing』(『ラヴ・ヒーリング』:1995年)、『Loveduce』(『ラヴジュース』:1997年)、『Love Life』(『ラヴ・ライフ』:1998年)のLOVEシリーズ3部作を発表、1998年末にはレーベルの枠を越えた2枚組のベストアルバム『ID Y BEST COLLECTION』(『[ID.]Y ベスト・コレクション』)を発表、1999年に行われたコンサート「悦楽の15年 最後のシャウト」を最後に大沢誉志幸としての歌手活動を終了、その後数年間は作曲家やプロデューサー活動に専念していました。

 2002年にはブラジル音楽をベースにしたアルバム『Nova-Bossa nova』(『ボサ・ボサノヴァ』)をリリース、大沢誉志幸から大澤誉志幸に改名して歌手として復帰、2003年には古巣のエピック25周年記念のイベント LIVE EPIC 25 (『ライブ・エピック 25)にも出演、ソロデビュー20周年アルバム『Y』をエピックから発表、2004年からは自身のレーベル SORTE(ソルテ)をベースにした活動を行っています。

 3枚目のスタジオアルバム『CONFUSION』からのセカンドシングルとなった『そして僕は途方に暮れる』にはいくつかのバージョンが存在しますが、今回は『CONFUSION』に収録されたオリジナルバージョン(アルバムバージョン)で、1984年にリリースした1枚目のベストアルバム『Frenzy』(『フレンジー』)にも収録されています。

 シングル『そして僕は途方に暮れる』は、日清カップヌードルのCMソングに起用されるなど大ヒットを記録、その後もヒット曲として数多くのアーティストにカヴァーされました。

 今夜は、大澤誉志幸の素敵なハスキーボイスをお楽しみくださいね~音譜