昨日は、ペタ&ペタ返しお休み中にも関わらず、読者の皆さまから多くのペタをいただきまして本当にありがとうございました。
ペタ&ペタ返しは本日より再開いたしますので、今後ともよろしくお願いいたします。
GW2日目の昨日は、土曜日に出かけた疲れが残っていたせいで、1日中自宅に引きこもっていました。
今週は、GWの祝日に関係なく仕事ですが、金曜日まで頑張って働いてきま~す。
今夜のおやすみ前の1曲は、 Dan Fogelberg (ダン・フォーゲルバーグ)が1979年にリリースしたアルバム『 Phoenix 』(『フェニックス』)より、『 Longer 』(『ロンガー』)をお届けしたいと思います。
ダン・フォーゲルバーグ(本名は、 Daniel Grayling Fogelberg : ダニエル・グレイリング・フォーゲルバーグ)は、アメリカ出身のシンガーソングライターで、叙情的な歌詞と温かみのある歌声で、70年代から80年代前半にかけて絶大な人気を誇り、『 Longer 』、『 Same Old Lang Syne 』(邦題は『懐かしき恋人の歌』 : 1980年)、『 Hard to Say 』(『ハード・トゥ・セイ』 : 1981年)などのヒット曲で知られています。
アルバム『』は、1979年の Billboard 200 (ビルボード200)で第3位を記録、1980年にシングルカットされた『 Longer 』は Billboard Hot 100 (ビルボードホット100)で第2位、 Adult Contemporary chart ()では第1位に輝きました。
両親は音楽家で、少年時代からクラシックピアノを習う、一方でスライドギターも独学でマスターし、高校時代はビートルズのコピーバンドを組んでいたそうです。
卒業後、イリノイ大学で舞台芸術と絵画を学びながら、フォークロックバンドとしてローカルキャンパスの会場で演奏活動を開始、この時に後に名マネージャーとして知られることになる Irving Azoff (アーヴィン・エイゾフ : アメリカの音楽マネージャー)と知り合い、彼とともにナッシュビルへ移りスタジオ・ミュージシャンとして活動、そこで Eagles (イーグルス : アメリカの西海岸を代表するロックバンド)など数多くのミュージシャンと共演したことが、その後の彼の音楽性に大きな影響を与えることになりました。
1972年に最初のアルバム『 Home Free 』(『ホーム・フリー』)を発表しましたが、セールス的には不振だったようです。
1974年には、イーグルスの Joe Walsh (ジョー・ウォルシュ : アメリカのギタリスト)がプロデュースしたセカンドアルバム『 Souvenir 』(『スーヴェニア』)がヒットし、シングルカットされた『 Part of the Plan 』(『パート・オブ・ザ・プラン』)はダン・フォーゲルバーグの最初のヒット曲となりました。
その後も『 Captured Angel 』(『キャプチャード・エンジェル』 : 1975年)、『 Phoenix 』、『 The Innocent Age 』(『ザ・イノセント・エイジ』 : 1981年)などの作品が成功を収めるとともに、彼の音楽的完成度の高さも注目を集めるようになりました。
James Taylor(ジェイムス・テイラー)などの1960年代のフォークを音楽に影響を受けながらも、ギター、キーボード、コーラスなど全て一人で行い、それらを多重録音することによって表現するスタイルを確立しました。
1980年代以降は、社会的テーマを扱った『 Windows and Walls 』(『ウィンドウズ・アンド・ウォールズ』 : 1984年)、ブルーグラスの影響を感じさせる『 High Country Snows 』(『ハイ・カントリー・スノウズ』 : 1985年)などを発表、大ヒットには恵まれなかったようですが着実な活動を続けていました。
しかし、2004年に前立腺癌を発症し翌年には治療に成功しましたが、3年間の闘病生活の後の2007年12月16日に56歳で亡くなりました。
今夜は、ダン・フォーゲルバーグの素敵な歌声をお聴きくださいね~

ペタ&ペタ返しは本日より再開いたしますので、今後ともよろしくお願いいたします。

GW2日目の昨日は、土曜日に出かけた疲れが残っていたせいで、1日中自宅に引きこもっていました。

今週は、GWの祝日に関係なく仕事ですが、金曜日まで頑張って働いてきま~す。

今夜のおやすみ前の1曲は、 Dan Fogelberg (ダン・フォーゲルバーグ)が1979年にリリースしたアルバム『 Phoenix 』(『フェニックス』)より、『 Longer 』(『ロンガー』)をお届けしたいと思います。
ダン・フォーゲルバーグ(本名は、 Daniel Grayling Fogelberg : ダニエル・グレイリング・フォーゲルバーグ)は、アメリカ出身のシンガーソングライターで、叙情的な歌詞と温かみのある歌声で、70年代から80年代前半にかけて絶大な人気を誇り、『 Longer 』、『 Same Old Lang Syne 』(邦題は『懐かしき恋人の歌』 : 1980年)、『 Hard to Say 』(『ハード・トゥ・セイ』 : 1981年)などのヒット曲で知られています。
アルバム『』は、1979年の Billboard 200 (ビルボード200)で第3位を記録、1980年にシングルカットされた『 Longer 』は Billboard Hot 100 (ビルボードホット100)で第2位、 Adult Contemporary chart ()では第1位に輝きました。
両親は音楽家で、少年時代からクラシックピアノを習う、一方でスライドギターも独学でマスターし、高校時代はビートルズのコピーバンドを組んでいたそうです。
卒業後、イリノイ大学で舞台芸術と絵画を学びながら、フォークロックバンドとしてローカルキャンパスの会場で演奏活動を開始、この時に後に名マネージャーとして知られることになる Irving Azoff (アーヴィン・エイゾフ : アメリカの音楽マネージャー)と知り合い、彼とともにナッシュビルへ移りスタジオ・ミュージシャンとして活動、そこで Eagles (イーグルス : アメリカの西海岸を代表するロックバンド)など数多くのミュージシャンと共演したことが、その後の彼の音楽性に大きな影響を与えることになりました。
1972年に最初のアルバム『 Home Free 』(『ホーム・フリー』)を発表しましたが、セールス的には不振だったようです。
1974年には、イーグルスの Joe Walsh (ジョー・ウォルシュ : アメリカのギタリスト)がプロデュースしたセカンドアルバム『 Souvenir 』(『スーヴェニア』)がヒットし、シングルカットされた『 Part of the Plan 』(『パート・オブ・ザ・プラン』)はダン・フォーゲルバーグの最初のヒット曲となりました。
その後も『 Captured Angel 』(『キャプチャード・エンジェル』 : 1975年)、『 Phoenix 』、『 The Innocent Age 』(『ザ・イノセント・エイジ』 : 1981年)などの作品が成功を収めるとともに、彼の音楽的完成度の高さも注目を集めるようになりました。
James Taylor(ジェイムス・テイラー)などの1960年代のフォークを音楽に影響を受けながらも、ギター、キーボード、コーラスなど全て一人で行い、それらを多重録音することによって表現するスタイルを確立しました。
1980年代以降は、社会的テーマを扱った『 Windows and Walls 』(『ウィンドウズ・アンド・ウォールズ』 : 1984年)、ブルーグラスの影響を感じさせる『 High Country Snows 』(『ハイ・カントリー・スノウズ』 : 1985年)などを発表、大ヒットには恵まれなかったようですが着実な活動を続けていました。
しかし、2004年に前立腺癌を発症し翌年には治療に成功しましたが、3年間の闘病生活の後の2007年12月16日に56歳で亡くなりました。
今夜は、ダン・フォーゲルバーグの素敵な歌声をお聴きくださいね~
