東日本大震災から今日で1年が経ちましたが、震災で亡くなられた方々や未だ行方不明の方々に、この場をお借りしまして心よりご冥福をお祈り申し上げます。
また、被災地にお住まいの方々や現在も避難生活を余儀なくされている方々には、一刻も早く安心した生活に戻れますよう、心からお祈り申し上げます。
昨日は特に出かける用事もなかったので、久しぶりに
鉄道模型のコレクションを整理していました。
日曜日はお天気も回復しそうなので、気が向いたら
スクーターで七里ガ浜のフリマに出かける予定です。
今夜のおやすみ前の1曲は、エディ藩とオリエント・エクスプレスが1974年にリリースしたアルバム『その1』より、『 9 O’clock 』(『ナイン・オクロック』)をお届けしたいと思います。
エディ藩(Eddie Ban : 本名は、潘 廣源 )は、神奈川県横浜市のギタリスト、ボーカリストで、小学校は地元のインターナショナル・スクールに通い、在学中に後に GODIEGO (ゴダイゴ)のマネージャーになるジョニー野村(本名は、野村威温 : 音楽プロデューサー)らと知り合いました。
中学に入学した頃からギターに興味を持ち、大学の在学中に渡米し音楽的技術を磨く、帰国後のデイヴ平尾(本名は、平尾時宗、ミュージシャン、俳優、2008年に63歳で死去)との出会いにより、平尾時宗とグループ・アンド・アイ(後のザ・ゴールデン・カップス)を結成、1967年に『いとしのジザベル』でデビュー、リードギターを担当してバンドの中心的存在となりました。
1969年にエディ藩グループ結成のためゴールデン・カップスを脱退しましたが、1970年にザ・ゴールデン・カップスとエディ藩グループが合併、ゴールデン・カップスに復帰を果たししました。
1972年にザ・ゴールデン・カップスが正式に解散、様々な音楽関係者と関わる中で自身の作品も残し、2003年にザ・ゴールデン・カップスが再結成され、現在も音楽番組への出演やライブハウスでの演奏を続けています。
ザ・ゴールデン・カップス時代の楽曲につきましては、テーマ一覧の『 Golden Cups 』より、過去の記事をチェックしてくださいませ。
今夜は、エディ藩の甘く素敵な歌声をお楽しみくださいね~
また、被災地にお住まいの方々や現在も避難生活を余儀なくされている方々には、一刻も早く安心した生活に戻れますよう、心からお祈り申し上げます。
昨日は特に出かける用事もなかったので、久しぶりに
鉄道模型のコレクションを整理していました。日曜日はお天気も回復しそうなので、気が向いたら
スクーターで七里ガ浜のフリマに出かける予定です。
今夜のおやすみ前の1曲は、エディ藩とオリエント・エクスプレスが1974年にリリースしたアルバム『その1』より、『 9 O’clock 』(『ナイン・オクロック』)をお届けしたいと思います。
エディ藩(Eddie Ban : 本名は、潘 廣源 )は、神奈川県横浜市のギタリスト、ボーカリストで、小学校は地元のインターナショナル・スクールに通い、在学中に後に GODIEGO (ゴダイゴ)のマネージャーになるジョニー野村(本名は、野村威温 : 音楽プロデューサー)らと知り合いました。
中学に入学した頃からギターに興味を持ち、大学の在学中に渡米し音楽的技術を磨く、帰国後のデイヴ平尾(本名は、平尾時宗、ミュージシャン、俳優、2008年に63歳で死去)との出会いにより、平尾時宗とグループ・アンド・アイ(後のザ・ゴールデン・カップス)を結成、1967年に『いとしのジザベル』でデビュー、リードギターを担当してバンドの中心的存在となりました。
1969年にエディ藩グループ結成のためゴールデン・カップスを脱退しましたが、1970年にザ・ゴールデン・カップスとエディ藩グループが合併、ゴールデン・カップスに復帰を果たししました。
1972年にザ・ゴールデン・カップスが正式に解散、様々な音楽関係者と関わる中で自身の作品も残し、2003年にザ・ゴールデン・カップスが再結成され、現在も音楽番組への出演やライブハウスでの演奏を続けています。
ザ・ゴールデン・カップス時代の楽曲につきましては、テーマ一覧の『 Golden Cups 』より、過去の記事をチェックしてくださいませ。
今夜は、エディ藩の甘く素敵な歌声をお楽しみくださいね~
