7月1日(月) ついに手術当日です!

7時30分に手術着に着替え、ついでにT字帯も装着してしまう。

8時には、左手甲の静脈に針さされて点滴開始。痛かった…。

9時には隣のベッドの方が手術室に向かわれました。同時に7人くらいの手術が始まるらしい。

その最初の組の手術がどの程度かかるかで、私の手術時間も変わるのです。

一応予定は11時なので、10時半くらいからソワソワ待ってたけれど、11時過ぎても

11時半過ぎてもお呼びはかからない。

窓際の明るい光をガンガン浴びつつベッドに腰かけてボーゼンと待つ。

気がそぞろすぎて、本読んだりテレビ見たりする気にもならないw

正午。看護師さんが「手術室の準備ができたと連絡ありました!」と。

でも「準備ができた」だけで、入室はもうちょっと待つみたい。

12時25分、ようやくお呼びがかかり、看護師さんと共に手術室へ。

「手術室」入り口から入った中がさらに多くの手術室に分かれていて、比較的近くの

小さめな手術室に入り、自力で手術台に上がります。

布をかぶせた下で手術着は看護師さんにスルッと脱がされ、胸には心電計、指にはパルスオキシメーター、口には酸素マスク装着。

麻酔科医さんが点滴に麻酔薬を入れると告げてから数秒で意識を失いました。

 

・・・・・・・!? 目

手術が終って、「目が覚めた」ところは覚えてますが、意識混濁はなはだしく、

頭はグルグルして気持ち悪いし、後から思い出そうとしても記憶が途切れ途切れですゲッソリ

切除した腫瘍も見せてもらったような…気はするんですが…現実かどうかわからんww

そして寝たままガラガラガーーッと運ばれて「うえっっ気持ち悪うー」と思った瞬間の記憶の次は、既に自分の病室のベッドで寝てる状況でした。

どうやら自分のベッドが手術室に運ばれ、術後はそのベッドに移動させられて病室まで

運ばれたようです。(それ知ってたらベッドの手すりに荷物ぶらさげなかったのに…)

 

「いま、18時ですよ」と看護師さんの声。

手術予定時間は3時間だったのに、それを軽く超えて5時間以上の手術になってしまったらしい。

なんかあったのかな。麻痺とかあるのかしら、というのが一番に気になるので

唇や頬、首のあたりを手で触る。全部感覚があるのでホッとする。

めまいや吐き気は小一時間くらいは続いたけど、実際吐くまでには至らず、

徐々にマシになっていきました。

他にはのどの痛み。これは人工呼吸の為に気管に挿管したせいでしょう。

声を出してもガラガラ声でしたが、一日くらいかけてゆっくり治っていきました。

 

病室に戻ってもまだ心電計・パルスオキシメーター・酸素マスクはつけたまんま。

手術で切った首には大きなバンソーコがぺたんと貼ってある状態で、

その端っこから血抜きのドレーン(管)がぶらさがっていました。

 

さて、吐き気がおさまってきた19時ころ、尿意をもよおしてきました。

下半身を手でさぐってみても、尿カテーテルが入ってる気配はなし。

朝8時からずっと点滴してて、手術は2時間時間超過して、術後は抗生物質の点滴も

追加でやってるんだからそりゃたまりますよネー。

ところがトイレに行きたいです~と看護師さんに訴えると、

「酸素マスクを3時間つけていないといけません。その間は動いてはいけないので、

おしっこをするならベッドの上で便器で…」

えっあせる

普通に立って歩けそうなのに、ちょっとでも動いたらダメ!?

ベッドの上で…やるか? うーん…ちょっとヤダ

「…我慢します」

 

おしっこ我慢2時間の刑ゲロー

 

うん。自分でも「なんでそこで意地を張る??」とか考えはしましたけども

「なんかイヤ」というそれだけでキツイほうを選択してしまったの笑い泣き

註:こんなガマンはお勧めしません。体にも悪いですw

 

19時過ぎに見舞いに来てくれた姉にグチったり、

「大体この酸素マスク役に立ってんのー?かえって息苦しいし!」などと八つ当たりしたり

ひたすら時計を眺めて1分1秒が過ぎるのを待つチーン 長かった…。

21時までかと思ったら、20時30分に看護師さんが酸素マスクを外して絶対安静解除を

知らせてくれて、「やったぁー!」と声に出して喜びましたてへぺろ

 

そんなこんなで尿意のことで頭が一杯な術後でしたがw

意外にも…手術で切った首のあたりの痛みは少なかったのです。

もちろん首の筋肉を動かしたり圧迫したら痛みはありましたが、動かさない時は

さほど痛まない。麻痺してる様子もないのに痛みが少ないのは有難かったです。

(結局術後から退院まで、痛み止めはまったく飲みませんでした。)

 

この夜は真夜中2時まで点滴が続き、しょっちゅうトイレにいきたくなるので

やはりろくに眠れませんでしたw