この言葉に出会ってから20年以上が経ちます。

 

中学・高校時代をバスケットボール部で過ごした私にとって、「神様」のような存在ですが、順風満帆ではなく、艱難辛苦を経て、ようやくNBAのチャンピオン・リングに到達した過程を知っているからこそ、「人間」として、等身大の存在としてのマイケル・ジョーダンを尊敬し続けてきました。

 

そのジョーダンの名言を集めた書籍があり、私にとって、それは人生を支えてくれる大事な言葉ばかりが詰まっています。

 

Success isn’t something you chase. It’s something you have to put forth the effort for constantly.Then maybe it’ll come when you least expect it. Most people don’t understand that.

(成功は追い求めるものではなく、それに向かって絶えず努力し続けるもの。そして、それは全く予期しなかった時に訪れるかもしれないが、大部分の人はそう理解していない)

 

I’ve missed over 9,000 shots in my career. I’ve lost almost 300 games. 26 times I’ve been trusted to take the game-winning shot and missed. I’ve failed over and over and over again in my life.And that is why I succeed.

(これまで9000回のミスショットを犯し、300試合に負けてきた。試合を決めるシュートを26回託されたが失敗してきた。人生において何度も何度も失敗してきたが、だからこそ成功しているんだ)

 

Never say never, because limits, like fears, are often just an illusion.

(「絶対できない」なんて決して口にするな。なぜなら、限界も、恐怖と同様に幻想に過ぎないのだから)

 

私自身の人生において、これまで自分の手に負えないような難易度の高い挑戦に遭遇する場面がありました。

 

その時に、まず脳裏をよぎるのは、「面白そうだからやってみたい」という好奇心と衝動です。

 

そして、次にやって来るのが、自分の職責の範囲であったり、リスク負担の可能性であったり、あるいは利害関係者の調整であったり。

 

あれこれ考えていると、後者の不安や心配が大きくなり、当初の直感的好奇心が徐々に後退していって、「無理にリスクを取らなくても大丈夫かな〜」と思い始めます。

 

だけど、そんな後ろ向きな気持ちを奮い立たてせてくれたのが、ここに出てきている「恐怖は幻想である」というもの。

 

20代はこの言葉を念仏のように唱えているだけでしたが、30代で多少マネジメント手法を覚えてくると、「どんなに大きな挑戦であっても、細分化し、段階的に詳細化して、課題設定の上、仮設を立てる」ことで、漠然とした恐怖心はなくなり、目標が明確になり、前に進むエネルギーが出てきます。

 

本当に、この言葉と出会えてよかった。

 

本日、自分の人生における一大決心をしたのですが、その決意に当たって、「成功できるか、成果を出せるかわかりませんが、でも、それに向かって努力できる自分は信じている」と断言できました。

 

前もって考えていたわけではなく、その場の話の流れの中で、自分の心の底から出た言葉だったのですが、自分自身の中では、ルビコン川を渡ることを決めたユリウス・カエサルと同じくらいの名言ではなかったかと考えています(周囲からは評価されませんでしたが(笑))。