ここ数日の間に、何度この言葉を吐いたことか…。

 

「情報の交流のないところに、感情の交流なし。感情の交流のないところにイノベーションなし」

 

日本の高度経済成長期に登場する著名な経営者たちの自叙伝を読むと、当時の世の中を変えるようなイノベーションが起こった瞬間というのは、漫然とした情報交換ではなく、激論に近いような意見交換の中で、「これならば可能でないか?」とテンションが上っていき、それが最高潮に到達した瞬間、感情の爆発とともに新製品が誕生した、というエピソードに度々遭遇します。

 

何もイノベーションの現場だけでなく、我々の個人的な経験としても、なかなか思い通りに乗り越えられない課題があって、試行錯誤を繰り返して、ふとした瞬間に突破口を見つけて、ガムシャラに取り組んでいたら、いつの間にか解決に至っていた、ということがあります。

 

新しい物事を作っていくためには、情報だけでなく、感情の交流も必要とされる所以です。

 

これからの時代、情報技術の革新によって消費者行動も大きく変化するし、供給側も労働力不足という生産体制のボトルネックを意識しなければならず、そのためには、テクノロジーを活かしたイノベーションしか生き残る道がないのではないかと強い危機感を抱いています。

 

だからこそ、これまでの古い手法ではなく、新しいツールを活かして、新しいコミュニケーションを開発していかないと、イノベーションが生まれる余地はほとんどないと思います。

 

古い手法では、コミュニケーションは停滞しがちです。

 

すると、そこでは情報も滞留し、情報の再編集は起こりません。

 

情報の再編集が起こらなければ、そこへの感動や感情が発生することもなく、経済・社会は静態のままです。

 

一人の人間の知識や発想では限界があるので、多数の人間の知識や知恵、経験を持ち寄って(The wisdom of crowds)、一気呵成に情報の再編集を行おうというだけなのに、非常に動きが重い(遅い)人が多すぎます。

 

従来の思考・手法の延長線に未来があるのだと思えば、それを踏襲して構わないと思いますが、それは我々が望んでいる未来ではないので、”Win-Win, or, No deal."で。