本日から新年度が開始したので、仕事に対する抱負等を書こうと思ったのですが、そんな些細なことよりも、2日前に訪問した御当主の言葉に対する解釈を考えている自分がいます。

 

御当主から私自身に問い掛けられた言葉として「これからの時代は大変だよね。男は最後は奥さんや子供を守り切れるかだよね。貴方に奥さんや子供を守り切る覚悟はあるか?」というものがありました。

 

男としての覚悟を問われたので、私としても「最後まで守り切るつもりで全力を尽くします」と回答しましたが、恐らく、その覚悟を果たせるかどうかも不透明なほど、世界環境の変化や国内情勢の停滞(後退)といった困難な状況を御当主は見通しているものと推察しました。

 

「これからの時代」を総括する前に、様々な国内外の事象に対する論評があったのですが、その論評のひとつひとつも、どのような分析を経て、その見解に至ったのかは不明であったため、そのロジックを追い掛けて考えています。

 

この感覚は、社会人大学院時代に経験した指導教官(師匠)とのやり取りに似ていて、懐かしい感覚がします。

 

当時は、師匠が言っていることの10分の1程も理解できないまま、師匠が話したことをメモして、「何となくわかった」感じでやり過ごしていましたが、多くの経験を経て、知識が増えるとともに、その発言の意図や真意が徐々に明らかになりました。

 

御当主の言葉も、ひょっとしたら御当主の中でも明確に言語化されていない、いわば直感的な感性なのかもしれませんが、その底には膨大な知識や経験の蓄積が眠っているものです。

 

それを掘り起こすためには、「どういう意味なんですか?」と直截的に質問するのではなく、まずは発言のひとつひとつのロジックに対する自分なりの解釈や価値判断を行った上で、改めて御当主に投げ掛けるというやり方で、コミュニケーション(議論)を深めることが大事ではないかと思います。

 

言語化されてない直感的な感性を言語化していく作業は、ギリシア哲学における問答法(対話)によって有効性が示されていますが、御当主の世界観を理解するためには、それこそ「もっと勉強しなければ」という私自身の決意を強くするきっかけにもなりました。