これから社会人になろうとする大学生と対話をしていると、将来のキャリアやスキル開発に関して明確な展望を持っていることを頼もしく思うと同時に、自分の大学時代を振り返り、「なんとお馬鹿なことだったのか」と反省することしきりです。
「覆水盆に返らず」という言葉どおり、過ぎにし我が時間は取り戻せないので、オッサンの助言として、未来ある若者に考慮してほしいのは、10年後の自分の将来像を持つことは大事だけど、それにこだわり過ぎると、自分の人生の幅や選択を狭めてしまう可能性(リスク)があるということ。
キャリアやスキルに対する意識が高いがゆえに勉強熱心であることは素晴らしいのですが、それは新たな知識や資格の取得に血道を上げることを必ずしも意味するわけではなく、目の前の仕事にがむしゃらに取り組んでいくことも含まれると思うのです。
40歳過ぎのオッサンである私は、今でこそ経済学や経営学、心理学にカウンセリング、更にはプロジェクトマネジメントに英語や中国語など、様々な知識やスキルを習得するに至っていますが、これらの知識やスキルを最初から身に付けようと思っていたわけではありません。
仕事をしていく上で遭遇した課題や失敗に対して、「どうすればクリアーできるか」「同じ失敗を繰り返さないようにするためにはどうすべきか」という問題意識があって、その解決策、アプローチとして様々な知識やスキルを身に付けていった、というのが実態。
要するに、知識取得やスキル開発は「目的」ではなく「手段」であった、ということ。
知識取得やスキル開発についてあれこれ考えるよりは、むしろ、目の前の仕事に全力でぶつかっていって、その中で感じる葛藤や矛盾と向き合い、改善なりイノベーションなりを図っていく方が、自分の成長につながるのではないか、ということ。
更に言えば、「成長」も、自分の人生を豊かに生きるためのひとつの手段であり、成長なんかしなくたって、自分自身の人生を幸福に生きれるのであれば、骨身を惜しまず努力をすること自体は無意味かもしれません。
私個人のキャリアで申し上げれば、自分を成長させることで(もともと仕事嫌いなのに)面倒臭い仕事が増えたり、重荷を背負わせられたり、というデメリットが大きい半面、面白い人や面白い仕事に遭遇できるメリットがそれよりも大きかったので、自分自身を高めるという選択肢を選んで、今でもワクワクドキドキを楽しんでいる面があります。
ただ、ワクワクドキドキを楽しみながらも、留意しているのは「最後までやりきる」「きちんと結果を出す」ということ。
この点をクリアーしないと、周囲は評価しないし、次の「もっと面白そうな仕事」が回ってきません。
知識習得やスキル開発は「急がば回れ」で、目の前の仕事をがむしゃらに取り組む中で、思考停止に陥ることなく、惰性に流されることなく、手を尽くせば道は見つかるものと思うので、「焦りは禁物」ですよ。