先日開催された170人会議の様子について、知人のFacebookで書かれていた批評文(以下参照)を読んで、なるほどなあと思って、それから数日間、自分の中で色々と考えることがあったので、まとめてみました。
コミュニティをどうつくるか、って話が多かったですけど、コミュニティというよりプロジェクトって感じでした。熱量がね。プロジェクトって熱量要りますからね。中にはそのへんまでわかっててあえて熱量下げようってベクトルのプレゼンもあって、さすがやなぁってなりました。
コミュニティってのはたぶん逆で、熱量がないから続く、みたいなもんなんだなあと思いました。居場所ってそういうもんじゃないですか、的な。
この寸評を読むだけでも、プロジェクトとコミュニティの相違点が明確にわかるほど、きちんと区別して理解されているんだなあと感動したわけですが、私も多くのプロジェクトのマネジメントあるいはアドバイザーを引き受けるに当たり、最初のオリエンテーション(ガイダンス)で言っているのは、目的の明確化と手段の区別。
目的が、「利益を上げる、売上を伸ばす、利用者を増やす」という経済的指標の改善であるならば経済政策を適用すべきだし、そうではなくて、「地域を盛り上げる、地域のアイデンティティを確立する」などの共同体の活性化を目指すのならば社会政策の適用ということを、入口部分でしっかりと議論します。
でも、こんな小難しい言葉を使わなくても、もっとシンプルに「明確な目標を定めて、それに邁進するプロジェクトなのか」なのか、それとも、「居心地の良い場=コミュニティを作ることを目指すのか」ということを問い掛けても良いのかな、という気がします。
というのも、現在、手掛けているプロジェクトがあるのですが、基本的には自由参加なので、様々な目的の人が参加しているのですが、それぞれの参加目的を分類すると、上記のように2つのグループに大別できるのかと。
プロジェクトとコミュニティとであれば、前者が現状打破を目指し、後者が現状に甘んじるみたいな印象を受けがちなのですが、私はどちらでも良いのかなと。
先の批評文で書かれているように、プロジェクトには「熱量」が必要です。
この熱量というのは、情報の交流や感情の交流から一歩抜け出して、多種多様な意見や想いを一定のベクトルに揃えて目標を設定し、それに向けて計画→実施→管理コントロール→終結という流れで、時間・資金・人員を投入しながら、最後までやり遂げることを意味します。
それは、ある意味、居心地の良いコミュニティを作るといったこととは質の違うエネルギーであったりするので、コミュニティを志向している人が、必ずしもプロジェクトに向くわけではない。
むしろ、プロジェクトの場合は、締切があったり、利害関係の調整があったり、プレッシャーや負担が大きかったりするもの。
目標や目的はなくとも、緩くつながることで、自らの居場所を確保したり、アイデンティティを維持したりする場は必要だと思うし、他方で、目的や目標の実現に向けて、神経を擦り減らしながら、理想と現実のギャップを乗り越えていくことで、自らや組織、地域のレベルアップを図っていくことも必要。
要は、多様な生き方を前提として、その多様性を担保するための場の選択肢について、コミュニティとプロジェクトという2種類が選択肢として存在していることを念頭に置いて、その選択を賢くしていくことが、幸福な生き方につながるんだよ、ということをきちんと伝えていきたいなと。