今度の三連休では、勉強会を開催することにしているのですが、今度の勉強会においては、私が相談を受けたケース対応を基に、それぞれが抱えているプロジェクトを振り返ってもらおうと思います。
私も社会人大学院生時代に経験したのですが、他の大学院生が指導教官から論文指導を受けている場合には、「論文のロジックの詰めが甘いな」とか「エビデンスが不十分だから説得力に欠けるな」とか、比較的冷静かつ客観的に、その風景を眺めることができます。
ところが、いざ自分が論文指導を受ける場合になると、他の大学院生が指導を受けていたのと全く同様の論理の飛躍であったり、データ整理の不十分さを指摘されて、やり直しを多々命じられました。
要するに、自分という人間は、自分という存在を、思ったよりも客観的に見れてないし、楽観的に考える傾向にあるという認識は持っておいた方が良いかも。
特に、「一生懸命頑張っている人」は、「精一杯頑張ったから」「全力を尽くしたから」という自己満足で満たされているので、尚更、自分が作り出したもの(アウトプット)に対して、贔屓目に見てしまいます。
だけど、問われるべきは、アウトプットによりもたらされる変化(=成果:アウトカム)。
見たくない現実を、いつもの毒舌を交えながら、見せることにしています。
こんな毒舌家の話を、時間を取っても聞きたい人がいるのだから、世も末ですね。