今日は、朝6:00から9:00近くまでのディスカッションにより、考えさせられたことが多かったです。

 

話を聞いていくうちに、漫画『進撃の巨人』における壁の中の住民を見るような思いがしました。

 

同作品のアニメOP曲で、紅白歌合戦にも出場したLinked Horizonの『紅蓮の弓矢』という曲があって、その歌詞の一節に次のようなものがあります。

 

何かを変えることができるのは

何かを捨てることができる者

何ひとつリスクを背負わないままで何かが叶うなど

暗愚の想定 ただの幻影

 

そう言えば、『鋼の錬金術師』の最終話「旅路の果て」でも、同様の教訓めいた話がありました。

 

痛みを伴わない教訓には意義がない。
人は何かの犠牲無しに何も得ることなどできないのだから。
しかしそれを乗り越え自分のものにした時、
人は何にも代えがたい鋼の心を手に入れるだろう。

 

「何かを変えたい」「現状を打破したい」と口に出す割には、実際の行動が伴わず、安全なところで発言している人が多いような。

 

幸い私にはリスクを理解し、共有してくれる人々が周囲に存在したから、臆することなく先陣を切ることができましたが、そのような存在がなく、役割と使命を与えられて、孤立している人にとっては、どこを突破口とするかは難しい問題です。

 

何が難しいかといえば、その周囲の人たちが「リスクを押し付けている」という認識がないこと。

 

念頭にあるのは自らのリスク(=保身)であることに気付いてないのが往々にしてあること。

 

ただ、壁の外では劇的な環境変化が起こっていて、壁の中の平和もいつまでも続くものではない。

 

「座して死を待つ」というのも、ひとつの選択なのでしょうか(私には到底理解しがたい選択なのですが)。