日頃の行いが悪いせいなのでしょうか。

 

明日から1泊2日で沖縄に出張予定でしたが、まさかの台風7号(プラピルーン)発生のため、出張中止となりました。

 

今回の出張は1ヶ月くらい前から入念に仕込んでいたのですが、人間の営みなんていうものは、自然の猛威を目の前にしたら、あっけなく崩れ去るものです。

 

一方、潰れると思っていた土日が復活したわけで、週末をどのように利用するか。

 

これも日頃の行いなのでしょうが、7月からは、現在の業務に加えて、新たな業務が加わります。

 

専門用語で「兼務発令」なるものらしいのですが、「一粒で二度美味しい」みたいな労働スタイルになる模様。

 

しかも、その新しい業務は、今年の年初、一年間の目標設定の中に「注意を向ける分野」として「海からの視点」と書いていた(→https://ameblo.jp/felix-epyon/image-12341138957-14103529448.html)ことが実現するかのように、「海」に関連する業務となっています。

 

当時は、年末年始の読書で、塩野七生『ギリシア人の物語Ⅱ:民主政の成熟と崩壊』を読み終えたばかりで、ネットワーク重視の海洋都市たるアテネと、閉鎖的な陸上都市であるスパルタとの間の対立の歴史が念頭にありました。

 

この海と陸という二元構造の視点で、川勝平太『文明の海洋史観』や陣内秀信『イタリア都市の空間人類学』を改めて読み返してみて、自分自身の思考軸が、「人・モノ・情報の流れを陸から海にどう拡げていくか」という視点に偏っていて、「そもそも海を介してつながりのあった人・モノ・情報のネットワークを構築する」という視点が完全に欠如していることに気付きました。

 

ひと言でいうならば、「海は日本や鹿児島を他国・地域と隔絶するものではなく、逆に、他国・地域との交流やネットワークを創り出す媒介」であったことを再認識しました。

 

そのような視点で地域政策や都市計画を考えてみたときに、イタリアのヴェネツィア・ジェノヴァ・ピサ・アマルフィ(イタリア海軍旗に描かれている海洋都市国家の紋章)は、かつての海洋都市国家であっただけでなく、現在では、屈指の観光地であるわけで、「海」という自然環境が、ひとつの都市の産業・経済や都市計画に与えた影響を考察する必要があると考えました。

 

 

今年1月のイタリア視察で、ピサを訪問した際にも、メディチ家のアルセナーレ(造船所)を視察したかった(リノベーションで閉館されていたため、視察できませんでしたが)のも、その問題意識があったから。

 

ピサという都市は、かつては海運都市として繁栄を誇ったにもかかわらず、他都市との競争に負けて、その地位から転落。

 

その後はピサ大学を中心とした文化都市へと転換し、現在では、観光都市にもなっており、その歴史的変遷に興味があったため、2度目の再訪をしました。

 

私のイタリア視察は、半分は、美味しいものを食べ、美しい女性を見て、素晴らしい景観を楽しむためにあるものですが、残りの半分は、自らの研究や仕事において、新たな視点を構築して、独自性の高いアプローチを可能とするような思考のトレーニングをするためにあります。

 

とはいえ、先述の「海からの視点」は「注意を向ける分野」として位置づけており、「緊急ではないが、重要ではある」領域として、今後、マイペースに取り組んでいこうと思っていたくらいのレベルです。

 

これが業務となるのであれば、これから、少しネジを巻いて本格的な研究に取り掛かりたいと思います。