観光インフラや観光地づくりにおける最近のトレンドである「利便性向上」。
利便性向上とは「便利にすること」であり、それによって、観光客の満足度が高まることが期待されています。
でも、実際には、利便性向上を図れば、観光客の満足度が高まるという因果関係は必ずしも成立せず、精々、利便性向上と観光満足度は相関関係にある程度だと思います。
利便性向上については、因果関係と相関関係が区別されずに、利便性向上そのものが目的化されていると感じるときもあります。
『観光立国論』の著者であるアトキンソン氏に倣って言えば、「観光客は利便性を求めて観光地を訪れるのではなく、観光地そのものの魅力を求めて訪れるのだから、過度の利便性は不要」というところでしょうか。
では、なぜ利便性向上が、かくも喧伝されているかと言えば、これも単に、観光客のニーズ把握などマーケティングは苦手だけど、観光インフラや観光地づくりなどのハード整備は得意という供給者側(サプライサイド)の都合や恣意性によるものかと。
これまた、ガラパゴス製品を創り出した日本人らしい特徴なんですが、利便性についてもオーバースペック気味で、「利便性を求めてやって来る観光客」をターゲットにしているかと思わせるほど、利便性を徹底追求しています。
利便性を追求することは大事ですが、追求しすぎると、どこの観光地も似たり寄ったりとなって、差別化できない、特徴のない観光地になってしまう恐れがあります。
極論すれば、そんなに利便性を追求したければ、日本人が生み出した利便性の象徴である「コンビニエンスストア」を置けばいいだろうという話になりますが、観光地のコンビニエンスストアほどがっかりするものはないですよね。
なので、利便性についても、観光地の特徴を踏まえ、ターゲットを明確にして、どこまで向上を図るのかを吟味すべきかと。
私自身が、イタリアの観光地を多数訪れる中で、観光地の魅力があれば、多少の不便性なんか気にせずに何度もリピーターとして訪れるということを確信しました。
私が4回訪れている不便な観光地としてアマルフィがありますが、初めての訪問時は、ローマから鉄道に乗ってナポリで降りて、そこからヴェスビオ鉄道に乗り換えて、サレルノで降車。
そこから先は、くねくねした道をバスに揺られながら40分。その間、激しい乗り物酔いをしてしまい、バスから降りるときにはぐったり状態。
こんな苦労して到着したアマルフィの街中は、切り立った崖に街がつくられた歴史的背景もあり、当然のことながら坂道と階段ばかりで、ひたすら歩くしかない。
しかし、時の流れを忘れて、散策や読書などを楽しむには、最適な雰囲気や美しい景観があるため、ストレスが溜まって開放感を味わいたいときには、この街に滞在することだけを目的に、イタリア旅行を計画します。
ただ、乗り物酔いは相変わらず苦手なので、2回目以降はナポリからハイヤー(片道150−180€(19500円〜23500円))を手配するようにしています。
最寄り駅からバスを使えば、10€(1300円)くらいで事足りるのですが、スーツケースを持ちながら、路線バスに乗ることは、体力的に負荷が大きかったので、アマルフィ滞在のコストとしてハイヤー借り上げ料も交通費の中に組み入れています。
このように、観光地としての魅力が絶対的になれば、多少不便であっても、交通費にコストをかけて訪れようという観光客は存在します。
もし、アマルフィがいつでも、誰でも訪れることができるような観光地であれば、一度行けば、二度目はなかなか気乗りしないと思います。
苦労して辿り着いたからこそ、その観光地が一層魅力的に見えて、もう一度訪れたいと思えるという側面もあるかもしれません。
何もかもを便利にするのではなく、不便な部分を残して、希少性を訴えたり、あるいは、観光客に経済的負担をしてもらうことで、地域に観光マネーが落ちるような仕組みを作っていく方が、実は、地域にとっては経済面からはプラスということもあるのではないでしょうか。