先日、Facebookページで御紹介いただいた、蓮見孝『マルゲリータ女王のピッツァ』(筑波出版会)を読み終えました。
感想を一言で言うと・・・「デザインとは何か」ということについて腑に落ちました。
蓮見曰く「デザインに当たる日本語は『意匠』ですが、『意』は意図を示し、『匠』はかたちを造形するスキルを示す」、すなわち、「はっきりした意図のもとに明解なコンセプトを描き、さらにそれを見えるかたちに表現しまとめ上げる、この2種類の行為を合体したものがデザインである」。
先日、こちらのブログの読者から「なぜ行政が行う観光地づくりの公共事業はデザイン性の欠片もないのか」という質問が寄せられ、メッセージ上で、ディスカッションしました。
私は行政学のアプローチから、公共事業が計画され、執行される過程や、効率性や安全性の重視といった工事基準などの課題を指摘させていただきました。
しかし、この蓮見のデザイン論をベースにすれば、結論は、もっとシンプルに言い切ることができます。
それは、観光地づくりの公共事業においては、「どのようにすれば、その観光地がより美しく見えるようになるか」という意図が明確ではないということです。
美しい風景や景観を眺望できる施設や建築物を建設する技術は確かにあります。
だけど、そこで、多くの人に感動してもらえるような、素晴らしい価値観(コンセプト)を感じることができるかと言えば、そのような想い(意図)が、決定的に欠如しているのではないかと思います。
1月末からのイタリア訪問では、多数の美術館や観光地を訪れましたが、そこで気付いたことは、観光客の視点に立って、空気感まで感じられるような作品の展示方法や配置を考えていること。
私のような文系人間であれば、観光客の視点といった空間配置ではなく、作家や歴史的背景などの記号(意味)配置を試みると思います(笑)
展示されていた作品の全てを理解しているわけではありません。正直に言うと、2〜3割程度しか理解できてないかもしれない。
けれども、「何かすごいものを観た」という高揚感というか、満足感は確実にありました。
それこそが、これらの美術館のデザイナーの意図だと思います。
もちろん、ひとつひとつの作品の価値は素晴らしい。
でも、それは自然に置き換えれば、一本の樹木に過ぎません。
一本の樹木だけではなく、多くの種類の樹木や草花、そして、川に、風と、目の前の自然を五感の全てで体感できてこそ、自然全体の美しさを理解したと言えるわけで、一幅の名画だけでなく、名の売れてない絵画も含めて、美術館全体のデザイン・コンセプトに、きちんと塡まったからこそ、満足度の高い空間を演出できてると思います。
話を元に戻すと、行政主導の観光地づくりの公共事業に欠けているのは、このような「意図」、更に言えば、その観光地を美しくしたい、素晴らしいものと評価されたい情熱ではないでしょうか。
「観光客がたくさん来るから」という受け身ではなく、「やって来た観光客を感動させたい」という、強いこだわりが前面に出れば、観光地づくりの公共事業も変わるのではないかと考えたりします。
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