私がイタリアにこだわる理由は、イタリア経済に鹿児島の将来像を見出しているから。

 

鹿児島の主要産業は、農林水産業(食品産業)と観光産業であることを自覚しながらも、どこかで、米国型資本主義の特徴である大量生産・大量消費・大量廃棄という発想から抜け出せずに、鹿児島が持つポテンシャルを発揮できずにいるように感じます。

 

だけど、消費者の側では、確実に変化が起こっています。

 

大企業の広報・宣伝やマーケティングにより、一方的な情報の受け手であり、消費するだけしかできなかった「消費者」は、現代社会においては、ソーシャル・メディアによって情報の発信者になると同時に、クラウド・ファンドの活用によって投資家(生産者)にもなり得ます。

 

これまでは、物不足の社会では、物の多少によって生活が規定されていましたが、これからの時代は、物が大量にあふれる社会であり、生活のあり方によって、購入あるいは共有する物が変わる時代です。

 

生活のあり方とは、Way of Life(生活様式)であり、広義では文化そのものです。

 

日本ひいては鹿児島とイタリアとの大きな違いは、この文化力にこそあると思います。

 

イタリアでは、1980年代に製造業が復活を遂げましたが、その際には「第3のイタリア」と呼ばれる柔軟な専門化による生産体制が見られました(セーブル&ピオリ『第二の産業分水嶺』)。

 

また、中央集権体制とは異なる市民共同体による制度パフォーマンスの研究においても、イタリアの地方政府の公共政策が参照されました(パットナム『哲学する民主主義』)。

 

さらに、スローフードやスローシティという思想を生み出し、文化による街づくり・地域づくりを志向したのもイタリアです(宗田好史『なぜイタリアの村は美しく元気なのか』)。

 

このように、経済は経済だけで独立可能な変数ではなく、文化という変数に深く組み込まれることでしか、そのポテンシャルを発揮できない時代に突入しつつあるというのが、私の長年の仮説であり、長年のイタリア視察を通じて、少しずつ考え方を整理してきました。

 

文化と経済の融合による新たな地域経済のあり方に関する理論やモデルを作りつつ、それによって、それぞれの地域で理論を実践できる人材を育てていく、それがビジネススクール構想の根底に流れるコンセプトです。