明治維新150周年を迎える2018年。
前回の投稿で「歴史・文化の香り漂う鹿児島」ということを提唱したので、明治維新について考えてみたいと思います。
明治維新の意味や意義については、数多くの文献があり、門外漢である私が詳しく述べるべき立場ではないのでしょうが、明治維新により文明国の仲間入りすることになったとはいえ、そこに至るまでに、やはり多くの犠牲や不条理があったことは事実で、明治維新を礼賛するばかりでは、単眼的な思考ではないかと思います。
こちらの書籍では、「逆賊」の汚名を着せられた会津藩士が、流刑地で極貧の生活を余儀なくされた実態を赤裸々に書いていますが、江戸城の無血開城により「無血革命」という神話が流れている明治維新においても、勝者による敗者への見せしめの如き処遇がなされていたわけであります。
また、内向きのドメスティックな議論が多いのではないかという気がします。
当時の国際関係を勘案すれば、世界の海を支配する英国が、ロシアの南下政策の防波堤として、日本に親英的な政府が必要であり、ロシアと同盟関係にあるフランスから支援される江戸幕府が目障りだったので、それを排除する分子として薩摩藩を活用したという見方もできます。
さらに言えば、明治維新とはアジアにおける産業革命であったともいえますが、その類型が、明らかに欧米型とは異なることを指摘している専門家もいます。すなわち、欧米では機械化による生産性向上を図ることを旨とした産業革命(Industrial Revolution)であったのに対して、日本では近世から人的資本による生産性向上=勤勉革命(Industrious Revolution)が進展しており、それが産業革命の素地になったということです。
人口減少社会を迎えて、AIの発達など時代背景は異なりますが、欧米の発展経路とは異なる産業の飛躍の可能性を人的資本に見いだした近世の日本社会の有り様は、現代に生きる我々にとっても重要な意味を持つとともに、アジアや欧米諸国にとっても、ひとつの経済発展モデルとしての意義を持つのではないかと考えます。
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