昨日、私の社会人大学院時代の指導教官であり、現在でも色々と御指導いただいている師匠と「人の成長」について語りました。

師匠は、大学教員として、長きにわたり高等教育の現場で多くの生徒を持つ経験をしたわけですが、「伸びる人間」とそうではない人間の差は、変わろうとする意志にあるのではないかというのが議論の仮説。

仕事の合間に、自己負担で大学院に進学する社会人だから「学びたい」という気持ちはあるのでしょうが、それでも途中で脱落(中途退学)する人も少なくありません。

私も経験があるのでわかりますが、壁にぶつかったときに、自らの意思で学習しているのだから、撤退するのも自分の意思という選択を迫られる時があります。

その壁を超えたときに、新しい風景が見えるかわからない、また同様の壁に遭遇するかもしれない。

ならば…と脱落する人の気持ちもわかります。

そんなときに支えになったのは、知識を得たいとか、賢くなりたいとか、そんな表層的な変化ではなく、「困難に打ち克つ」「意地を貫く」などの、どちらかといえば人格面の変化を願っていた気持ちの部分だと思います。

この高度情報化社会に生きる我々はちょっとした知識や情報はGoogleで簡単に入手できます。

であるならば、学習の場では、知識習得や情報収集お以外の「成長の種」を仕込む必要があります。

間もなく開講するプロジェクト研究では一人の脱落者もだすことなく、全員をレベルアップさせたいですね。