この世の音楽を、いわゆるクラシックが代表する再現系の音楽と、ビバップ以降のいわゆるジャズが代表する即興系の音楽とに2分する見方があります。(ちなみに申し上げれば、再現=クラシックだけとは限らないし、即興=ジャズだけとは、もちろん限りません。)


この2つは、音楽であるという意味では当然同じなのですが、同時にかなり異質でもあると、僕は実感しており、その違いを理解できると、ジャズという音楽がよりわかりやすくなり、楽しめるのではないかと思うのです。


では再現系の音楽というのはどういうものか?

これは譜面などの一定の基準があり、その解釈についても主流や定番が存在し、リハーサルなどによって作り上げられ、本番のステージでそれを再現するような音楽と言えると思います。


逆に即興系の音楽とはどんなものか?

なるべく譜面などの基準を持ち込まず、予定調和を嫌い、従ってなるべくリハーサルもしないほうが新鮮とされ、そのことによって起こる事故やアクシデントを喜ぶような音楽と言えると思います。


それぞれの音楽を、比喩やキーワードを使って表すと、よりイメージしやすいかもしれません。


再現系:即興系

コント:漫才、スピーチ:会話、フィギュアスケート:カーリング、ポジティブリスト:ネガティブリスト、減点式:加点式


このような違いは、それぞれの分野で活動を続ける限りは、それほど意識せずに済むのですが、越境して相互理解を図ろうとすると、かなりややこしい話になってきます。


なぜかと言えば、生まれ育った世界によって、全く常識が違うからです。「日本の常識は、世界の非常識」なんて言葉がありますが、それにも関わらず「人類皆兄弟!」と推し進めれば、絶対に摩擦が起こるであろうことは、想像するに難くないですよね。


しかし、自分の考えだけが常識と、つい考えがちなのが人間の性というものでしょう。


昔、クラシック出身の管楽器奏者とリハーサル(鋭い方は、オヤ?と思われるかもしれませんが、ハード・バップ以降のジャズには、どうしても必要な作業なんです)してた時に、よくこのような会話が繰り広げられました。


何某「中田サン、ここは僕はどんな風に吹いたら良いんですか?」

僕「うん、テキトーだね」


ここでお互いの内心を披露すれば、こうであったことでしょう。


何某「テキトーってなんだよ!音楽を舐めてんじゃねーのか、この●ケ、シ●!」

僕「そんなの参考音源聴いて、できるだけ真似して自分なりに掴んでいくしかないって、自分で分かれ、このボ●、●ネ!」


小学校の音楽の授業で初めて音楽に触れ、再現系の音楽だけを音楽として認識していた人が、ある程度大人になってジャズにかっこよさを感じ、いきなり飛び込んでくる。

また、クラシックを学んだ人が、自由そうなジャズに憧れ越境を試みる。


我々ジャズの指導を行っているものは、大抵の場合、そういう人(かつて自分がそうであったように)を相手にしなければならないわけです。


それなのに、上記のリハーサルのようなやり取りを行ってしまうと、悲惨な結果になりがちだと思うわけです。


一つだけ例を出せば、多くの人がセッションを「発表会」だと思っているし、「怒られないようにしよう」とか、「リハーサルではバッチリだったのに、、、」とか感じてしまっている。

そこの根本的理解が違うんだといくら力説しても、そもそもの常識がそれぞれ違うので、新規参入者側はなかなか腑に落ちない。そして、「ケッ、ジャズの奴らはお高くとまりやがってヨー!」とプライドとやる気が削られていく。


悲しいかな。よく見かける光景で、一握りの幸運に恵まれた人だけが、境界をくぐり抜けてジャズという音楽の本質を理解し、楽しむことができるようになっている。そういう現状ではないかと思います。


この現状を打破する上手い方法を、僕が思いついたわけではないのですが、この難しい問題について模索することが、我々ジャズを指導する立場のものに課せられた使命なのかもしれませんね。


と同時に学ぶ側の人も、再現と即興ということをもう一度考え直してみると、何か良いことを閃めくことになるかもしれませんよ。