苦労した母の急病に際し、母の苦労話を最初で最後かもしれない投稿。
長いので無視して下さい。
続けるかは未定。というより母の容体次第。
母の苦労は生まれた時からだった。
先天的な身体障害があり(祖父が市役所に届け出たが、74年前、
当時の風潮で「手足が動くからダメ」だと言われ、公的には健常者)、
親兄弟(唯一、中立でいてくれた兄は1人(
世間に隠され、外で会っても無視、家の手伝いの道具にされ、
働くようになれば金を稼ぐ道具(ボーナ
祖母に給料袋を投げ捨てられ
最終的には共に交通事故にあった祖父を母自
高次脳機能障害の介護を余儀なくされ、
(亡くなった年(1990年)
更に祖父の事故の2年後に脳出血で植物状
2年2人重複してるので、
言われ、ホー
禁止され)365日、1日2時間しか寝る時間もなく、
私が9歳の時に祖母が亡くなり、介護から開放された
1番上の兄に実家を追い出され(子供=私が
介護の途中からしていた内
あと、母が「未婚の母」を選んだのは、
自身が両親(上記の私の祖
私の父にあたる人と結婚の話が出た時、
自分の介護まで背負わせてはだめだと、
母からは「いつでも会いに行けばいい」と幼少の
私には母がいるので会いに行
話がそれました。
その後、
母はようやく実家に戻れたが、既に新型コロナウイルス流
マスクが強制になる中、先天的疾患の後遺症でマスクが
外出不可になっており、息子(私)
実家の地代(借地料)を払うのが年々難し
3年程が過ぎた今年、更なる苦労が母を襲う。
今年、9月11日から突然せん妄(数日前から前兆あり)になり、
その3日後には私が追い詰めてしまった( 自宅でせん妄になった母を
理解してあげられずパニックになってい
「元のお母さん帰ってきて。」などと
「一緒に死んで」と発言した)結果、母のせ
緊急搬送の上にT市のS病院に医療保護入院、
その4日後には大腸
緊急搬送の上にO市K区のI病院に転院、
すぐにS病院に戻る予
連休明けを待つ事とな
その間に転院から3日後に昼食で看護師が食べさせてたお粥を
14分間もの心停止から蘇生し、ICUに入室。
「
誤嚥・窒息・心停止した時と全く同じ一般病棟・
呼吸停止寸前まで容態悪化。
生死の境を彷徨い、他に手は無いと言われ、
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声と自由、せん妄を治す手立て、自宅に帰る希望
経過観察、及び抜糸の為、引き続きICU
8日後、再々度、一般病棟・病室に移される。
場所は誤嚥・窒息・心停止、及び急変した時と
全く同じ。