ミントンは日本でも耳なじみのあるブランドのひとつだと思います。
私はやはりハドンホールが一番に思い浮かびます。
渋谷の老舗紅茶店、クリスティーでも使われていたような。
(画像は全てお借りしております)
ハドンホールの内装にインスピレーションを得て
1948年に発表されたデザイン。
有名だけれど、ミントンについては詳しく知らないなぁ…と
昨日カップの事を書きながら思ったので
調べた概略を備忘録的に書いておこうと思います。
1793年、若干28歳のトーマス・ミントンにより設立。
(実際の窯の稼働は96年から)
トーマス・ミントンはもともと、
シュロップシャーにあるカーフレイという窯で
トランスファーウェア(銅板転写紙で模様を付ける食器)の
彫刻師見習いをしていました。
カーフレイ窯は、
元はウースター窯にいたとされる
トーマス・ターナーが運営に携わっていました。
ミントンはその後結婚、ストーク・オン・トレントに移り、1793年に自身の窯を持つことになりました。
主にパールウェア、(アースンウェアに釉薬をかけたもの)を製造します。
(1830年代のもの)
ミントンは、同じくストークオントレントに窯を持つスポードの創設者、
ジョサイア・スポードに気に入られ
新しいデザインのウィロー・パターンを彫ることにもなりました。
(既にウィロー・パターンはスポードに導入済みでしたが柄違いのもの)
並行してミントン窯は、他の窯の協力により、ボーンチャイナの製造を始めます。
その後も時代と共に、新しい技術を取り入れながら変革していきます。
アースンウェア/パールウェアの製造 (前述)
↓
ボーンチャイナの製造(前述)
↓
タイルの製造(タイルは旧岩崎邸などでも見ることができます)
↓
パリアン(大理石のような陶器)
↓
パリッシーウェア(パリッシーにより発明された田園風陶器風)
↓
パート シュル パート (技法のひとつ、セーブルから職人誘致)
セーブル風
↓
ヴィクトリアン マジョリカ(マジョリカ焼きの模倣)
↓
ゼツェッション(ウイーン分離派)の影響を受けたセセッションウェア
など、
ミントンといっても様々な作品があったのですね。
こんなプレートを見ると、昨日のカップ&ソーサーをミントンと言われても納得です。
流行を取り入れ、技術力を高めていったミントンはビクトリア女王からも絶賛されるなど名声を高めましたが
残念ながら第二次大戦後はロイヤルドルトンに吸収されました。
そのロイヤルドルトンはウェッジウッドに吸収され、
さらにウェッジウッドはウォーターフォードと合併して
ウォータフォードウェッジウッドとなりましたが2009年に経営破綻。
KPSキャピタルパートナーズが管財人となり、WWRD LTD(ウォーターフォード、ウェッジウッド、ロイヤルドルトン)となりました。
2015年にフィンランドの会社フィスカースがその株式をすべて取得して、現在はフィスカースになっています。
フィスカースの傘下には、他にもロイヤルコペンハーゲンやイッタラ、アラビアなど、各国のメジャーな食器メーカーが名を連ねています。
このような経緯もあって、ミントンは現在では名前が存在するものの、
商品としては入手困難になっているのでしょうね。
日本では紅茶やエプロンなどはありますけれど
お持ちの方、ぜひ大切になさってくださいませ
最後までお読み下さいましてありがとうございました