アルファとしての「創世記」 | felice - 静かな歓びとともに生きる

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今日もお寄りくださり、どうもありがとうございます😊

これは、次の記事の続きです。

お読みになっていない場合、

これらからどうぞ。

 

では、旧約聖書の冒頭はどうなっているのでしょう。

創世記第1章の初め第1節と第2節は次の通りです。

「はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。

神は「光あれ」と言われた。すると光があった。神はその光を見て、良しとされた。神はその光と闇とを分けられた。神は光を昼と名づけられた。夕となり、また朝となった。第1日である。」

ヨハネによる福音書よりも

抽象度は下がっていて

創造を想像できるような文章です。

 

でも、これはどのようにして書かれたのでしょうか。

誰もみていないのに。

 

学生のとき、聖書の授業がありました。

牧師さまが週一回学校に来て

いろいろなお話しをされました。

 

神学校などでは、どのように教わったり

先生がどう考えているか知りたくて、

授業が終わってから質問してみました。

一瞬硬直した後、

「君は面白いことを言うねえ!」

と、笑いながら廊下を去っていかれました。

(あ、逃げられちゃった!😂

けれど、怒られなくてよかったと思いました。)

もしかしたら、この先生は

気にされたことすら なかったのかもしれません。

 

創世記は、別次元のことを知ることができる人が

話して伝え、のちに書きとめられたのでしょう。

 

この冒頭に書かれている

創造の時期、

ロゴスという意識体は

すでに存在していたと

わたしはみています。

 

יְוֹם

 

引用は、ブログ主の古い版の聖書からなので、最新の版と表現が異なる可能性があります。(1955年改訳版日本聖書協会)

注: 現時点での理解であるため、更なる探求の後、周波数が変わった場合、違う表現や理解になるかもしれません。予めご了承ください。

 

 

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