円空と

舜乗

「近世職人伝」には、円空の修験僧としてのエピソードが以下のように記されています。

  • 人相々家相を見て、その盛装を追うことなく予言することができた。
  • 人を独る池のヌシがいたが、千体の仏像を作ってその池に沈め、

池のヌシを鎮めた。

・飛騨の千光寺で立ったままの枯木で仁王像を作ったが、それはまるで仏が作ったもののようである。

千光寺の住職・舜乗(~一七〇五)についても、『近世崎人伝』には「俊乗」として円空伝の中にその名が登場します。また円空伝の附(付録)として、その伝記も載っています。そこには舜乗の人となりについて以下のように記されています。

  • 私心が無く人付き合いの良い人である。
  • 人の語った虚言を何でも疑いなく倍じる人である。

そして、そのように愚かなほど素直な人だから円空も喜んで交流したのであろうと「近世崎人伝」の「俊乗」伝は結ばれています。

千光寺の庫裏には、円空と舜乗が囲んで語り合ったとされる囲炉

爽が当時のまま残されており、現在も暖を取るために火が起こされています。


両面

宿儺

「日本書紀」仁徳天皇六十五年条に

飛国にひとりの人物がいた。「宿雄」という。一つの胴体に二つの顔があり、それそれ反対側を向いていた。頭頂がくっついてうなじがなく、胴体のそれぞれに手足があり、膝はあるが膝の裏のみとがなかった。力が強く身軽で敏捷で、左右に剣を帯び、四本の手で二張りの弓矢を用いた。それで、天皇の命令に従わず、

と、記されています。そこから、両面宿儺は大和朝廷に服従せずに滅ぼされた地方豪族を象徴していると考えられています。一方、飛騨や美濃の地元では、悪鬼を倒した英雄であり、千光寺、善久寺(高山市)、日峯寺(関市)などの開山とする伝承があります。「飛州千

光寺記」(元和七年一六二一>)には仁徳天皇の御代に教世観音の化身であり、身長十八丈(約五十五斑)、前記のとおりの異形の両面宿

健が飛騨国大野郡の小応賀郷印面出那が平山上の岩窟から出現し、

千光寺を開いたと記されています。

通常は「日本書紀』に記されたような異形の立像として表現されますが、円空は独自の解釈で、正面向きの武神の背後からもう一人の武神が顔を出しているような姿に作っています。

石造両面宿儺立像 岐阜県•千光寺





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