4ヶ月前、家族と海岸に旅行して、その2人の種類がいるのに気づいた。

母はずっと浅瀬にいて、私も妹も父も3人でいつも海の深さへ向かっていった。

母によく「こっち来て!もっと楽しいよ」といったけれど、決して来なかった。

「怖いから行きたくないの」と。

 

 

父が経営しているコンビニみたいなお店でたまに父を手伝って、

私が住んでいる国は、お客様が店員と話すのが好きだ。

そのお客様と話したとき、この比較を考えた。

ずっと浅瀬にいる人があり、同時に浅く話す人もある。

深く潜る人があり、同時に深く話す人もある。

もちろん、浅瀬にいて深く話す人がいる。その逆も。

 

子供の頃、浅く話す人と話すのが好きだった。

会話は速く終わって、進まなかったけれど、言われた言葉の目的は分かりやすくて人々を笑わせる。

友達もそんなふうに話すのが好きだった。楽しかった。

 

ただ、この数年間、なんでか分からないけれど、深く話す人と話すのが好きになった。

その「深い」話は政治や経済、複雑な話じゃなくて、

日常生活を深く進んで自由に自分の人生と相手の人生について話すという意味なのだ。

正直に言う。本音を言う。

 

浅く話す人と深く話そうとすれば、その人は普通に退く。

そのような行動に気づいて、その人ともう話さないことにした。

あの頃から沢山の人と話すことをやめた。

気づいたら、もう家族と話さなかった。

そう、大間違いだった…

 

その人が深く話すことが好きではないのが、会話が続かない理由なのか?

私がちょっとずつ浅瀬に這い上がることにした…

また浅瀬にいる人と話して、重要なことに気づいた。

 

「ときどき、浅瀬にいる人は深く話さないけど、その人はいつも他人のことを考えていて、行動は深いので、気は心。」

 

浅く話して優しい人はいる。浅く話して優しくない人もいる。

深く話す人は一緒だ。

心の中にあるものは最も大切なものなのだ。

若手でその重要なことに気づくのは良かったなぁ。

大人になっている気がする。