前回の国会図書館訪問では、
出羽錦が大鵬に猫だましを繰り出した翌朝の新聞を総ざらいしたのですが、
読売、朝日、毎日、サンケイ、日経、報知、デイリー、東スポを見て、
これでもう十分と思っていたのです。
特に見たいと思っていた、彦山さん系の読売と報知を確認しまして、
そこには猫だましと書かれていたが、他の新聞には書かれていないという、
大体予想していた通りの事態にニヤリとしました。
ところがデイリー・スポーツにも“猫だまし”の記述があるなど、
実際に見てみたら予想していたのとは違う成果もあったので、
今回は念のため、日刊スポーツとスポーツニッポンも確認する事にしました。
見て本当に良かったと思います。

~~~~~~~引用箇所↓~~~~~~~

日刊スポーツ 昭和37年11月16日金曜日

〖九州場所大相撲〗五日目 福岡スポーツセンター

《おもな手さばき》
大鵬(寄り切り)出羽錦
出羽は立ち合いに両手を高く上げて手をたたき、大鵬の注意力を上に向けておいて
下からとび込もうとした。しかし大鵬は動ずることなく左四つに組んだ。右上手を
引きつけた大鵬は一気に赤ぶさ下へ進んだ。出羽はここで得意の左下手投げ、
大鵬のからだがぐらついたがよく残した。大鵬はじっくり引きつけ正面土俵へ寄り切った。

〈出羽の奇策通ぜず〉
出羽錦は両手をポンとたたき大鵬の注意力を上に向けて下にもぐり込もうとした。
大鵬は一瞬両目をつぶった。しかし大鵬は左四つに組みとめ、右上手を引きつけて寄った。
出羽錦は土俵ぎわで左下手投げを放ったが、残した。大鵬は右上手から出し投げをこころみて寄り、
さらに左下手もつかんでがっぷり左四つ。裏正面に寄った。出羽錦は右で大鵬の左下手を切ろうと
したが、すでに体勢はのび切っており、土俵を割った。

【支度部屋】“どっちが横綱か”出羽の立ち合い怒る大鵬
「みなさん、みていて面白かったかね」
勝った大鵬はプリプリして帰ってきた。出羽錦が立ち合いに手をたたいて驚かせたことが、
頭にきているらしい。「あれは新でしにけいこ場でやるもんですよ。まあ、ユーモラスと
いえばそれまでですが、真剣勝負だもの、もう少しほかの手はないもんかな。
あれじゃあ、どっちが横綱かわからない」

〖土俵のお目付け〗二子山勝治(元横綱・若乃花)
〈猫だまし使った出羽〉
出羽錦が大鵬に対し立ち合い上の方でパンと手をはたき、すぐ足をねらう奇策を使ったが
あれは別名“猫だまし”というもので、相手を驚かすため用いるものです。しかし本場所では
めったにやれるものではなく新デシ相手にけいこ場でちょいちょいやるのがせめてもで、
これを使ったのはさすがに出羽錦ならではのものです。どっちみち勝てない大鵬に対しては
やるのは当然といえるでしょう。

………………

スポーツニッポン 昭和37年11月16日(金曜日)

【勝因・敗因】天竜三郎
○大鵬—出羽錦●
大鵬は一度出羽錦にきめだしを食っているので、大鵬は右の差し手を抜いて上手を取った。
出羽錦は立ち合い大鵬の目の前で手をたたいて目つぶしをやり、もぐり込もうとしたが、
結局合い四つの左四つになった。大鵬は早く勝負をつけようと思いきって出たが、
出羽錦の下手投げで残された。それからの大鵬は慎重にじりじりと攻めながら左下手も取った。
勝負はここまでである。この日の大鵬も相手を十分に見て自信満々のようであった。

【仕度部屋】意表つかれた大鵬
○●…出羽錦が珍しいことをやった。立ち合いカチンとあざやかな音をさせ、
大鵬の眼前でカシワ手を打ったのだ。若い大鵬はからかわれたように感じ憤慨していたが、
これは戦法の一つとして使われた手で昔常陸島という幕内力士(昭和五、六年ごろ)がよく使ったそうだ。
“立ち合いのカシワ手”で相手の意表をつきひるんだスキにつけ込むためで、小兵が大きな相手と
取り組む時に使ったもの。このほか足取りにいくと見せて、相手がのしかかる瞬間、体を後ろにひいて
自滅させる「ネコだまし」という手もあるという話だ。

~~~~~~~引用箇所↑~~~~~~~

日刊スポーツは、記者達の認識は、読売以外の一般紙と同じで、
猫だましというフレーズは使わずただ「手を叩いた」と書いてあるのみ。
しかしなんと“新人”解説者の二子山が「あれは猫だましというものです」
出羽錦といい若乃花といい、当時の現役力士達には、現在と同じ猫だましの認識が
定着していたのでしょうか。しかし二子山は「出羽錦が立ち合い手を叩き、すぐ足をねらう奇策を使ったが」
と書いている。出羽錦は本当に足を狙ったのでしょうか? それとも「立ち合いにカシワ手を打ち、
相手のひるむすきに足を取る技」だという固定観念があって、それに引きずられた?

一方、天竜三郎氏を解説者に抱えるスポーツニッポンの記事…これまで見て来た他紙の記事とは全く違います。
「ネコだまし」というフレーズが出て来ますが、出羽錦が見せたカシワ手に対して、では無いんです。
そう、九州山が名寄岩を倒した、あの猫だましの事を云ってるんです。
そしてカシワ手に関しては(天竜氏は“目つぶし”と呼んでいますが)、
これの使い手として戦前の足取り名人、常陸島の名前を登場させます。
九州山でも大見崎でも無く…です。

そう言えば思い出しました。笠置山が書いてました。

~~~~~~~引用箇所↓~~~~~~~

笠置山「相撲技七十手」昭和32年

昭和初期の常陸島(出羽海部屋)は足取りの名人と称された。
その代わり、足取りだけが唯一の得意技であって、本場所でも足取りだけしか
できなかった。土俵いっぱいに下がり、徳俵にカカトをつけるくらいにして仕切ると、
ぶちかますように飛び込んで足を取ったら最後、必ず勝っていた。相手が用心して
腰をおろしてワキをつけて見ていたら、相手の顔の前で手を打っておいて潜ったりしていた。

~~~~~~~引用箇所↑~~~~~~~

出羽錦のカシワ手を“猫だまし”と称した、
読売新聞(彦山光三氏)
報知新聞(原口明氏)
デイリー・スポーツ
相撲(大滝譲治氏)

…彼等の説明する“猫だまし”を得意技にしていたのは、
誰あろう常陸島だったんです。

読売「立ち合いに相手の顔の前でパチンと両手を叩き、
相手のひるむすきに足をとったりうしろにまわったりして勝つワザ」

報知「立った瞬間に、出てくる相手の顔の前で両手を打ち鳴らし相手をかく乱するだましわざ」

デイリー「立ち合いに相手の目の前でカシワ手を打ち、
注意を上の方に向けておいて足をとりにいくもの」

相撲「立合いに相手の目の前で両手をパチンとやって
相手がそれに気を取られているスキに足取りに行く技」

手を叩く行為だけを取り出して“猫だまし”としている報知と、
足取りまで含めて“猫だまし”と云っているそれ以外、
という違いはありますが、細かい事は置いておくとして…
いずれにしても、それを得意にしていたのは、九州山では無く常陸島だったんです。
でも現在、彼を“猫だまし”の使い手として語る人は一人もいません。
何故なら、それは当時“猫だまし”と称されてはいなかったから。
天竜氏は“目つぶし”と呼んでいます。
実際には手を叩いていない、本当の猫だましの使い手、九州山が、
現在では、名寄岩の目の前で手を叩いた事にされてしまっている。

天竜氏は、当時の相撲事情を知る数少ない一人。
ましてや常陸島は、春秋園事件で天竜と運命を共にした仲。
(常陸島は当時、出羽海部屋の最古参力士で、春秋園事件でも
山錦と並んで黒幕的存在だったらしい。足取り名人としてだけではなく
相撲史においても、もっと注目されていい存在)

その天竜氏が、常陸島はよく手を叩いていたといい、
それとは全く別に猫だましを説明しているのです。
(出羽錦のが猫だましでないのなら、なぜそれとは関係ない技である猫だましの説明をする必要があったのか、
スポーツニッポンの記事は、興味を掻き立てられます。恐らく、出羽錦のカシワ手を猫だましと称している
人がいるという情報が、天竜氏の耳にも入っていて、それを、正解を知る者の務めとして、ヤンワリ否定
したのだと思います)

〈相手の顔の前でカシワ手を打ち、相手がひるむスキに足を取りに行く〉
これを得意にしていたのは常陸島なのに、
昭和37年11月時点では、この技に、いつの間にか“猫だまし”という名称が奉られているのと同時に
九州山が名寄岩にやった技と言う事にされてしまっていた。「名寄岩物語」でもカシワ手から
足取りの流れで名寄が倒された事になっています。

ここで“カシワ手”と“猫だまし”の真実?の歴史についておさらいしましょう。

〈カシワ手(目つぶし)の系譜〉

大見崎(明治32年夏 対梅ノ谷) 立ち合いに3度カシワ手を打ったと本人の談。足取りには行っていない。
  ↓
常陸島 カシワ手から足取りの流れを得意技にしていた。
  ↓
出羽錦(昭和37年九州 対大鵬) カシワ手をやったのに“猫だまし”と報道された最初の例。でも当人も
猫だましをやったつもりになっていた。

〈猫だましの系譜〉

猫又三吉(小錦と同時代の大阪大関) 彦山氏らによれば猫だましを得意技にしていて当時評判を取っていたと云う。
どういう猫だましかは不明。
  ↓
尼ヶ崎清吉(常陸山時代) 「野球界」昭和十二年三月號によれば、九州山型の猫だましを得意にしていたと云う。
  ↓
小田の山(大正14年夏 対岩見嶽) 決まり手が猫だましになった唯一の例? 九州山の猫だましと同じかどうかは微妙。
「岩見の突いて来るのを小田しゃがんで岩見に空をつかせ」という翌朝の読売新聞の記事は
12年後の同紙の「名寄がなほも突っ張らんとする時、九州身體を低く落して足を拂へば名寄空を突くと同時に前に落つ」を彷彿とさせる。
読売は猫だましという言い方をしていないにも関わらず、あたかも同じ技を説明している様な記事になっているのは
単なる偶然だろうか。
  ↓
九州山(昭和12年春、18年春 対名寄岩) 当時の相撲社会が認識する“猫だまし”をやった。

これまで語られて来た猫だましのキーパーソン達…
猫又、大見崎、小田の山、九州山、隠岐ノ島、出羽錦と言った顔ぶれでしたが、
ここで新たに尼ヶ崎と常陸島の2人を加えなくてはいけません。

そして“真実の猫だまし”の使い手の系譜と
“現在の猫だまし”の使い手の系譜に分けるのです。
前者は猫又、尼ヶ崎、小田の山、九州山の系譜であり、
後者が大見崎、常陸島、出羽錦の系譜です。