報知新聞の原口明さんは、九州山が猫だましをやったのは
有名な、昭和18年春場所9日目の名寄岩戦、だけではなく、他でもやっている
と取れる書き方をされています。

~~~~~~~引用箇所↓~~~~~~~

読売「大相撲」昭和37年九州場所総決算号

プロレスのレフリーをやっている九州山もときどきやったが、
十八年春場所には大関名寄岩(現春日山検査役)をうまく、だまして?いる。
……………
報知新聞 昭和37年11月16日

現在プロレスのレフェリーをやっている九州山もときおりこの手を使い、
十八年春場所には大関名寄岩(現春日山)をうまくだましている。

~~~~~~~引用箇所↑~~~~~~~

以前〈名寄岩 猫だまし〉で検索していたら下記のサイトに辿り着きまして…

(羽黒蛇の大相撲について語るサイト)http://hagurohebi6.cocolog-nifty.com/blog/2015/08/post-de51.html

〖名寄岩物語:砂つけて男を磨く相撲とり〗という書籍があり、
その中の記述に、
「怒り金時の名寄岩を『怒らせて、からかおうや』と発案したのは出羽海部屋の大邱山。
立合いにならない雰囲気の仕切りで、突然立ち上がって蹲踞(そんきょ)中の名寄岩の肩を押し、
名寄岩は土俵下に転がり落ちる。九州山はのろのろ仕切り、立合いで猫だまし」
という一節があると言うのです。

この九州山の猫だましの記述、かなり気になりました。
文脈から言って、名寄岩と九州山の最後の対戦となった昭和18年春場所とは考えられず、
それ以前の名寄岩との対戦で、九州山が猫だましをやっていたのではないか。

相撲レファレンスによると、九州山と名寄岩の対戦は5度。

名寄岩 vs. 九州山 3-2
昭和12年春 7日目 西前14 名寄岩● 足取り ○西前7 九州山
昭和16年夏 6日目 西関脇2張出 名寄岩○ 極め出し ●東前2 九州山
昭和17年春 14日目 東関脇2張出 名寄岩○ 寄り倒し ●西前4 九州山
昭和17年夏 5日目 東関脇2張出 名寄岩○ 極め出し ●西前9 九州山
昭和18年春 9日目 西大関2張出 名寄岩● 足取り ○東前4 九州山

九州山が勝っているのは2度で、猫だましで有名な昭和18年春場所は足取り
(当時の記事をいくら読んでもカシワ手を打っている記述なし。笠置山曰く外襷反りのやり損ね)、
これは両者の最後の対戦で、名寄岩はこの時が新大関です。
そして初顔合わせが名寄岩の新入幕の場所で、なんとこれまた決まり手が足取り。
「名寄岩物語:砂つけて男を磨く相撲とり」の記述では、どう考えても
新人の名寄岩を先輩力士達が寄ってたかってからかっている印象ですし、
また「九州山はのろのろ仕切り」…昭和18年春場所の対戦では、
九州山が立ち合いで名寄岩をじらしている様な記述は特に見当たりませんでした。

〈九州山の“猫だまし” その衝撃の正体〉
http://ameblo.jp/feijoahills/entry-12138247656.html

なので、九州山が猫だまし(現在の猫だまし)をやったのは、ひょっとしたら
この昭和12年春場所の対戦においてなのではないか…彦山氏が、
大見崎が梅ノ谷に猫だましを見舞った場所を、一場所間違えたのと同じパターンか?と思ったのです。

そして国会図書館に行って来ました。

~~~~~~~引用箇所↓~~~~~~~

「相撲」昭和十二年三月號
〈昭和十二年春場所大觀竝全勝負表〉

奇手の續出(七日目雜觀) 伊集院浩

幕内では名寄岩と九州山も面白い相撲であったが、九州
相手の気質を見抜いて容易に立たず、悠々と仕切れば名寄愈々(いよいよ)焦れ出し、
立つや張り手で九州に挑むを、九州相手の上體の浮いたに乗じ、素早くしゃがんだと
見るまもなく、足取りの奇手を使へば、名寄見事に顚倒して敗け、
全く觀衆も名寄も唖然とするスピード相撲であった。

~~~~~~~引用箇所↑~~~~~~~

カシワ手の記述はありませんが、九州山が立ち合い焦らし戦術をやっていた事…
「名寄岩物語」に書かれている取組はどうやらこちらだなと云う感じです。

そして問題なのは勝負の決まり方です。
「九州相手の上體の浮いたに乗じ、素早くしゃがんだと
見るまもなく、足取りの奇手を使へば、名寄見事に顚倒して敗け
全く觀衆も名寄も唖然とするスピード相撲であった」
…昭和18年春場所9日目と瓜二つではないですか?

もっとこの一番の記事を見てみましょう。

~~~~~~~引用箇所↓~~~~~~~

読売新聞 昭和十二年一月二十二日
〈春場所大相撲 七日目〉 評:前横綱常の花 藤島秀光

【九州山—名寄岩】
猛烈に突き合ふ、名寄しばしば右で九州の顔面を突張るや九州顔を背けながらも
突き返し名寄がなほも突っ張らんとする時九州身體を低く落して足を拂へば名寄
空を突くと同時に前に落つ。
【評】
名寄が元気に任せて突っ張るのもよいが、少し上過ぎはしないか、この點若手の元気者として
恥づべきであらう。この勝負は名寄が例に依って餘りにも上體に力を入れたため九州の乗ずるところ
となったのである。

~~~~~~~引用箇所↑~~~~~~~

こちらは立ち合いの焦らしの記述はありませんが、
「名寄がなほも突っ張らんとする時九州身體を低く落して足を拂へば名寄
空を突くと同時に前に落つ」
九州がしゃがみ込み、名寄が目標を失って這う…正に
昭和18年春場所と同じ展開である事が分かります。

~~~~~~~引用箇所↓~~~~~~~

「相撲」昭和十二年五月號
〈昭和十二年春場所戰跡検討〉

(七日目 一月二十一日木曜日) 
【九州山—名寄岩】
立上り、はげしく突合、九州くぐって、下から突上げれば、名寄左右から
猛烈に九州の頬を張って出ようとし、或は、引張りこまうとするが効なく、
九州がくぐって前褌をねらへば、名寄突放してくぐらせない。そのうち名寄が、
西側から東めがけて突進んだとき、九州さっと身をひそめて、右から名寄の右足を
褄取のやうにはらへば、はづみをくらって、名寄左肩からたふれて敗れた。これは、
名寄の出足の悪いところであるが、一面、腰に柔軟性がないため、残らなかったのだらう。
名寄、立合から、大分かたくなっていたのが、突合のうちに、その破綻を暴露したものといへる。

~~~~~~~引用箇所↑~~~~~~~

余談ですが〈這わせるのが褄取り〉と云う
後の70手の褄取りに通ずる認識が、この当時既にあった事も注目されます。

「名寄岩物語」の当該箇所もコピーして来ました。
はっきり「猫だまし」…現在の猫だましをやって、その後、足を取ったと
書いてありました。

~~~~~~~引用箇所↓~~~~~~~

「名寄岩物語 : 砂付けて男を磨く相撲とり」 2014年 名寄市北国博物館 編

名寄岩は花道に立った時から闘志むき出しで、そのまま鬼の形相で土俵に上がる。
仕切りに入ってますます鬼の顔が鋭くなり、相手を厳しく睨みつける。いざ立合いとなると、
直線一本、相手が誰であれ「左差し」から強引に寄り進む。この得意の「左四つ」に組み込むや否や、
熊にも勝る怪力で相手を引っ張り込み腹の上に吊りあげてしまう。時に、右の手がまわしに届かないと、
相手の背中の肉をむしりつかんで吊り上げることもある。
この強引極まる取り口に、相手の力士は戦々恐々となった。そんな中、知略を巡らした者がいた。
出羽海派古参の力士、大邱山である。
「名寄に勝つには刃物はいらねえ。怒らして、からかおうや」
この一声で、出羽海力士たちの対名寄岩戦法は決まった。名寄岩が仕切りに入って間もなく、
まだ立合いにならない雰囲気の中、出羽海力士は突然立ち上って蹲踞中の名寄岩の肩を思い切り押した。
名寄岩はたまらず土俵下に転がり落ちる。
この前代未聞の珍事に、国技館はどよめく。名寄岩は怒り心頭、いざ立合いとなると怒り狂って闇雲に
張手を連発する。出羽海力士は頃合いを見計らって“ひょい”とかわすと、名寄岩は体勢を崩され
「引き落とし」の負け。
さらには、のろのろと仕切りをする出羽海力士の九州山。名寄岩は、あまりののろさに怒り心頭。
逆上したまま猛烈に立つと、彼の目の前に火花が散った。「猫だまし」である。目がくらんだと
思ったら、足を取られて転んでいた。

~~~~~~~引用箇所↑~~~~~~~

蹲踞中の名寄の肩を突いたら、名寄が土俵下に転落だなんて、そんなまさか…話を大袈裟に書いてるんだろうと
思っていましたが…どうやらこれは本当の話みたいです。因みにこの「出羽海力士」というのは
金湊の事でした。

~~~~~~~引用箇所↓~~~~~~~

東京朝日新聞 昭和十二年一月二十日(水曜日)
〈大相撲春場所 五日目〉

金湊(引落し)名寄岩
【怒った名寄は黒星】
○…名寄岩よ汝は怒るが故に汝が悪い—勝放し同士の金湊との一番、名寄の怒りっぽいのを
承知の金は機熟せざるうちに名寄の両肩を強く押して土俵下検査役秀ノ山親方の膝のあたりまで
転がり落した。怒った、怒った、名寄憤然、観衆にもそれと判る程、そして秀ノ山が苦笑する程
怒って立った。猛烈な突っ張り合ひの最中に金の左顔に猛パンチ一發、その虚につけ込まれて
正面土俵に寄りつめられながら重ねて双手で猛烈な張り手、その挙句黒柱の前で立直って猛然
突っかかったところ外されてそのままつんのめってしまった。極り手は引落しとアナウンスされたが
恐らく勝った金湊にはそんな覚えがなかろう。

~~~~~~~引用箇所↑~~~~~~~

決まり手「引き落とし」も合ってますし「名寄岩物語」の記述は
なかなか馬鹿に出来ないですね。しかし九州山の猫だましに関しては、
九州が手を叩いたという記述はなかったです。そしてついに決定的な記事を
見つけました。やはり「野球界」です。

~~~~~~~引用箇所↓~~~~~~~

「野球界」昭和十二年三月號 相撲特輯號
〈春相撲超満員〉 飛鳥山人

〖名寄岩を猫扱ひ 九州マンマと欺す〗
新入幕名寄岩のファイテングスピリットは、既に相撲に於ける土俵の上の約束を
超越しているとまで云はれている程猛烈である。初日から五日目までは勝つ放したが
五日目は小粒乍ら閻魔の落し子のやうな金湊と顔が合った。金は名寄のまだ氣の無い處を
立上り、イキナリドンドン胸をついて土俵外へ轉がり落して終つたから名寄はスッカリ怒っちゃった。
餘り怒った為めに名寄は負けたものの相撲中両手で金湊の頬をイヤといふ程散々張殴った。
彼としたら相撲に負けてもパンチで勝った積り。溜飲を下げた事かも知れない。
次で六日目は星甲を破ったが七日目には又しても九州山といふ精悍な相手と顔が合った。
九州突っ張り、名寄も之れに應戦して摑まへやうとしたが機敏な九州の事とて夫れを許さず、
機を見て飛鳥の如くかいくぐって足を覘(うかが)ったので、スワ渡し込みかと思ったらば、
足を取らずにスーッと逃げ終った。為めに足取に来た九州の體を上から押へやうとした名寄は
力がぬけたので前へのめったのである。
あれは珍らしい手、「上手透し」と云ひたいがテンで相手の體にさわらないで逃げる手、
これを相撲仲間では「猫だまし」と云っている。朝汐鳳凰時代から常陸山時代の初期まで
取った高砂部屋の尼ヶ崎今の年寄間垣も相撲巧者でよくこの手を用ひたさうだが、
猫扱ひされた名寄は其晩中定めし怒って寝られなかった事だろう。(飛鳥生)

~~~~~~~引用箇所↑~~~~~~~

…これはもう、デジャブといいますか、フレーズも
6年後の同誌の記事↓の“マンマ”じゃないですか。

~~~~~~~引用箇所↓~~~~~~~

「相撲と野球」18年春場所相撲画報

〈戦ふ鉄傘下“その日その日”〉
☆九日目☆ 珍手“猫だまし”

九州山に名寄岩は、立上ったと見る前、
電光石火と飛び込んで、足をかっぱらったら
勝負がついた。勿論早業の主は九州山である。
極り手は足取りだが、力士仲間ではこんなのを
“猫だまし”と呼んでいる。勝って帰った九州山
大いに笑って“今日の猫は案外素直だった”
別の支度部屋では名寄岩が“足を取ったら馬だって
こけるぜ”と拙戦に自苦笑。

~~~~~~~引用箇所↑~~~~~~~

12年春「これを相撲仲間では“猫だまし”と云っている」
18年春「力士仲間ではこんなのを“猫だまし”と呼んでいる」

~~~~~~~引用箇所↓~~~~~~~

「相撲と野球」18年3月15日號
〈苦闘の春場所 大関名寄岩静男〉

△九日目、對九州山
今日はマンマと猫にされた。
あの手を俗に吾々仲間で猫だましといふ。
元来、私の様に動きの遅い四ツ相撲にとって、
九州関のやうに目まぐるしく飛び廻る相手は
甚だ苦手である。恐らく、突いたり引ッ張ったり、
イナシたりとは思って居たが、立合の一瞬に足に
飛び込まれるとは思はなかった。先手を打つ積りで、
バッと突いて出たら、それなりバタッと両手をついて居た。
なんの事はない。獨り角力を取った型。
それにしても、立會の一瞬に、それこそ目にも止らず、
立上ったと見たら潜り込んで居た九州関の
素早さには驚いた。流石に老練の業師である。
口惜しいよりは、呆れて自分を笑った事である。

~~~~~~~引用箇所↑~~~~~~~

12年春「名寄岩を猫扱ひ 九州マンマと欺す」「これを相撲仲間では“猫だまし”と云っている」
18年春「今日はマンマと猫にされた。あの手を俗に吾々仲間で猫だましといふ」

九州山が名寄岩を倒した2番は、まるでVTRを見ているかの様に、
いずれも“猫だまし”による決着でした。
立ち合いに相手の目の前でカシワ手を打つ、現在の猫だましではありません。
相手が突いて出て来るところを素早くしゃがみ込み、足取りか渡し込みと見せかけ、
相手がその対抗手段として上から押さえつけようとする所を、さっとその場から逃げ、
相手を這わせる技、それが九州山が名寄岩を2度倒した“猫だまし”の実態です。
12年春場所は、激しい突っ張り合いからの“猫だまし”
18年春場所は、立ち上がっていきなり“猫だまし”(立ち合いの猫だましという所が、これまた誤解の元)

「名寄岩物語 : 砂付けて男を磨く相撲とり」における猫だましの記述は、おそらく
九州山が行った“猫だまし”を、現在の意味で捉えてしまったのでしょう。

因みに、九州山—名寄岩の5度の対戦のうち、真ん中の3回、つまり名寄岩が勝った相撲の
記事も雑誌「相撲」で見ましたが、九州が手を叩いたと思しき記述は見当たりませんでした。